自分を認めるって好きになるって事じゃないの、お母さん?
こんにちは、やつ子です。
この前
15歳のゴリゴリ反抗期息子に
ついガミガミ言ってしまい
私は1人反省していた。
これは定期的にあることで、
育て直しとかなんとか
偉そうに言っていても
結局そう簡単に人間の本質は変えられない。
反省しつつも
「そんな私でいいのよ」と
自分で思ってあげる。
全部まるごと認めることが良いって
信頼しているカウンセラーさんも言ってたし
これで良し!
その後、
その翌日、
私は人のちょっとした失敗が
許せなくなっていた。
誰かのムダな動きがやたら目につく。
知らない人の浅はかな行動に腹が立つ。
家族の甘い考え方にイライラする。
まるで自分から
イライラを見つけに行ってるみたいだった。
本当は
私は私が許せなかった。
息子にガミガミ言う私が嫌いだ。
私は息子が大好きなのだ。
息子に優しい人のことは大好きになる。
息子のことを褒めてくれたりする人は
私も良いところを見てあげようと思う。
息子の思いを蔑ろにする人は
誰であっても許すことはしない。
息子のことを大切にしない人は嫌いだ。
誰であっても。
だから息子を信じてあげられずに
ガミガミがやめられない私のことが大嫌いだ。
自分の嫌いという気持ちをごまかして
「そんな私でいいのよ」なんて思ったことで、
行き場がなくなった “嫌い” が
よそから “嫌い” を集めているようだった。
これまでも
人の失敗やダメなところばかりに目が行き
やたら腹を立ててしまうことがあった。
子どもが生まれてからは
特にそんなことが多かったように思う。
“余裕がないから” という言葉で
片付けられることが多かったけど。
私はずっと私が許せなかった。
ちゃんと子育てできない自分が嫌だった。
息子のことが愛おしいのに
ちゃんと子育てができない。
でも
自分が許せない、
自分が嫌い、
そんな風に思うことは
良くないことだと思っていた。
だから板挟みのようで
辛かったのかもしれない。
ということは、
もしかしたらあの頃の感覚は
本当は違ったのではないだろうか。
周りに感じていたイライラは
本当はそんなにイライラするようなことでは
なかったんじゃないか。
だとしたら
もう少し周りを見る目が
優しくなったかなぁ。
そしたらあんなに追い込まれるように
子育てしなくても済んだのかなぁ。
何というか…逆に笑ってしまうが、
たられば以外の何でもない。
あの頃の私は、
自分へのイライラを歪めた状態でしか
周りを見ることができなかった。
それが精一杯だったのだ。
息子を信じることができない私のことは
好きではない。
育て直しを3年以上続けているのに
いまだにガミガミ言ってしまう自分が嫌いだ。
「そんな私でいい。」
というのは
「ガミガミ言ってしまう私でいい。」
ではなくて
「自分を嫌いだと思ってもいい。」
ということだ。
自分を認めるということは
自分を好きになるということじゃ
ないような気がする。
きっとここが勘違いしていた部分だ。
“許せないところ” が自分にあってもいい。
私が周りを優しい目で見てみたら
意外と周りは優しいんだと気付く。
それなら、
私が
「自分の許せないところがあってもいい」
と思えたら、
相手に許せないところがあってもいいと
思えるのだろうか…。
しかし、
相変わらず狭いところで悩んでるなぁ。
こんなもん、簡単なことなのに。
お父さんがお母さんのことを
好きでいてくれたら良かったじゃないか。
失敗ばっかりのお母さんでも
「そのままでいいよ」と
大切にしてくれたら良かったのに。
お母さんがお父さんの悪口を
私に言わなかったら良かったじゃないか。
自分の思い通りにならない部分も
認めてあげてたら良かったのに。
私は何をお手本にしたら良かったのだろうか。
もう今となっては
そんなこと言ってもしょうがない。
それに今の私のために
“両親2人の役割りを代わりにやってあげるよ”
なんて立候補してくれる人はいない。
どちらの役も、
まずは私が私に
やってあげないといけないのだ。
そうしないと大好きな息子に
それをしてあげられない。
やり方がわからないから
下手だけど
また自分と向き合うことを続けるしかない。
結局これだ。
わかってるけど空しくなってしまう時がある。
お父さん、お母さん、
何で私はこんなことで悩んでるんだと。
それではまた。
もっともっとめげない力を高めて、読んで下さる方に少しでも貢献できるような記事を書いていこうと思います🍀\恩送り/いただいたサポートは、私も誰かの応援に使います🌈