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親の「過干渉」が不登校に繋がると聞いて、子との関わり方を見直してみたら、子がちょこっと、学校に行き始めた話。



最近、LE SSERAFIM(ルセラフィム)と不登校の動画を行き来する生活を送っている。

そんなときに見つけたのがこちら
「粋塾(いきじゅく)」塾長さんの動画。

愛知県にある、不登校や引きこもり、ニートの子どもたちを引き受けている施設。熊本や長崎の離島にも施設があるそう。

こちらのチャンネルには、生生しい現場で日々、本気で親子と向き合っている先生方の姿がアップされている。

生死に関わるほどハードな現場の塾長さんが、「ひきこもり」「不登校」について語っているのが上記の動画なのだが、ところどころ、今の我が身を省みて考えさせられる言葉があった。
以下、私の心を捕らえた言葉をピックアップし、そこからの気づきで改善した点をまとめてみた。

①引きこもり、不登校の原因は、ダントツで「過干渉」


「過干渉」とは、
「必要以上に関与すること」
=必要以上に関わり、与えること

「必要」とは、
「必ず要すること」

盲点はこの「必要なことは何か」というのが、親の立場と子の立場で違うこと。

親が「必要」だと思っていることと
子が「必要」だと思っていることが
違うこと。


なぜなら、親子は別の人間だから。

字面だけ見ると「何を当たり前のことを」と思われるでしょう?
でも、私はこれが分かってるようで、分かってなかった。

それに気づいたのは、この動画を見て声かけの方法を1つだけ変えたら、

ひとまず、子どもが学校へ行き始めた。


その方法とは

こちらから、「じゃあ、今日は休んだら?」と言わない。

これまで私は、子どもから
「学校へ行きたくない」と言われたら

「じゃあ、休む?」
と、自分から訊いてしまっていた。

不登校の初日は、子どもが泣いていたのもあり、休ませてやらねば!という使命感にも駆られ、ついついこちらから「休む?」と訊いてしまったのだが。

そのあと、立て続けに何日か休んだ時も
「今日は休むの?」
と、自分から訊いてしまっていた。

その一言が、「過干渉」


だったんじゃないの?と気づく。


それ以来、「学校に行きたくない」と何度言われても
「そっかー、行きたくないんだね」と
ひたすら「受け」に徹してみたら

とりあえず、「行きたくない行きたくない」と言いつつ、朝食を食べ、着替えてスクールバスに乗り、登校するようになった。

うまくいっているのは一時的かもしれないし、我が家の場合だからうまくいっているのかもしれないけれど、ひとまずの試みとその結果としてご報告。

※ちなみに、毎回受け流すのではなく、5回に1回くらい「どうして行きたくないの?」としっかり話を聞き、話し合いをして、対策するようには努めている。

※本人が「学校には行かない」とはっきり宣言したら、休ませるつもり。まだ宣言されていないけれど。

②「頼まれるまで、やらない」と決める


①とも関係する言葉だけれど、衣食住に関わること、勉強に関すること、趣味に関すること、生活すべてに関わることを、親が「子供から頼まれるまでは、やらない」と決めること。

親は、特に母親は、生まれてからずっと子の世話をしている。
子のみならず、夫や他の家族の世話もしていることがある。
そうすると、「世話を焼く」のが当たり前になってしまい、「世話を焼きすぎている」ことに気づかなかったりする。

粋塾の塾長さんが言っているのは、ちょっと極端に聞こえるかもしれないけれど、生活すべてに関わることを「子から頼まれなければ、やらない」ということで。

これがなかなか、できているようで、できていないことに気づいた。

例えば、お寿司を食べていたら自然と、子どもが取りやすいように醤油を近くへ寄せてやったり。

ラーメン屋へ行ったら自然と、箸を子どもの分まで渡してやったり。


そういう、何気なくやってしまっている私の行為は全て「頼まれないのに、やっている」ことで。


意識して、子ども自身が「お箸ちょうだい」「お醤油とって」と言えるようにさせなければいけないことを、改めて教えられた。
(「お箸!」「お醤油!」と言われただけでホイホイ渡してしまうのも戒めなければ・・・述語が出てくるまで待たねば・・・)

試しに意識してみたら、
こちらも気が軽くなることが分かった。

今まで、先回りしてあれこれ世話を焼いていたのをやめると、
「せっかく世話を焼いたのに、思うような反応が返ってこない」場合へのイライラがなくなり、「世話を焼ける自分=気が利く母親」を手放したほうが、子どもも好きにできて、お互いストレスが少なくなった。

ただ・・・長年の習慣で、すぐに全部はやめられないので、焦らず少しずつ、「頼まれなければ、やらない」を実践していこうと思う。


③「助けてほしい」と子が言うまで、待つ


動画で挙げているのが

子どもが、深さ10mの穴に落ちたらどうするか?

という例え。

本当にそんな穴に子どもが落ちてしまったら、多くの親がまず、「大変だ!」「早く助けなきゃ!」と、慌ててロープや梯子を探したり、助けてくれそうな人に声をかけたりするだろうし、

子どもにも「今、助けてやるからね!」と声をかけると思うが

これはあくまで例え話なので、
親が右往左往する前に。

子どもが「助けてほしい」と言っているのかどうかを確認する。

ということ。

②にも通じるが、
子どもから「助けてほしい」という言葉が出てから初めて、本気で助ける行動に移すべき、という話。

実際には、ロープや梯子や、助けてくれそうな力自慢や消防士や重機や、子どもを助けられそうなありとあらゆる選択肢をあらかじめ考え、調べ、準備しておいた上で

子どもに「あなたはどうしたい?」と、きく。


その上で、子どもが「助けてほしい」と言えば全力で助けるし

逆に言えば、子どもがどんなに泣こうがわめこうが、暴れようが暴言を吐こうが、はたまた苦しんでいようがじっとしていようが

「助けてほしい」

と子どもから言ってくるまでは、親は手出しをするな、ということでもある。子もしんどいが親のしんどさは想像を絶する。


この例え話で言うところの「穴の深さ」は、親子の間にできた溝の深さでもあるし、子ども自身の悩みの深さでもあると思う。
大体の親子関係では、深さ1m程度の穴でも子どもはちゃんと「助けてほしい」と言えるだろうし、親もちゃんと助けると思うのだ。
驚いた子どもは泣いて親に甘えるだろうし、大きい子なら自分から這い出て「穴に落ちちゃった」と笑い話で済むかもしれない。


ただ、親が気をつけなければいけないのは、


深さ10mの穴に、自分から落ち込む子もいる。


ということだ。

自分から穴に入っているので、特に痛くもなければつらくもない。むしろ、親から離れた一人の空間が心地いい場合すらある。

そんな子は「助けてほしい」と思っているわけではない。

今、思春期に差し掛かった息子を見ていて、そんな気がすることがある。
「この子は、自ら穴へ潜りに行こうとしている」と。

深く深く自分の中へ潜り、情報の海や社会の出来事に潜り、世界とは何か、自分とは何者か、これからどのように生きていけばいいのかを必死に見極めようとする時期に、外へ出て何かをすることは、全て無駄な労力に思えてしまう。

そんな時、親が無理矢理「穴から助けてやる!」と頑張ってみたところで、
本人にとってはそれこそ「過干渉」なだけ。
どんなに子が苦しもうが、不安を訴えようが、「自分で穴を登れるようになりたい!」ともがいているうちは、ひたすら登ってくるのを親は待つだけ。

いずれにせよ、子どもが「助けてほしい」と言ってくるまで、親は「待つ」姿勢が大切なのだ。


「助けてほしい」を、命が尽きるギリギリまで言えない子もいる。
ギリギリまで苦しむ子の姿を見ている親は、それはそれはつらい。その見極めは本当に難しい、と塾長さんも言う。
それでも、親は「待つ」のが役目。

じっと穴に潜って体を育てる、カブトムシのサナギを見守るように。

子を育てるのは、親の「待つ」姿勢。


ということを学んだ気がします。
・・・は~・・・しんどいわ。。。
でもまあ、できることをコツコツやるしかない。デビュー3回目、人生3週目の宮脇咲良オンニも「続けていれば、いつかできるようになる」って言ってくれてるし(宮脇咲良さん、年下のアイドルだけどマジ尊敬に値する人なので、その話はまたどこかでしたい)

ま、とりあえず、ルセラの新曲でも聴こ♪



「粋塾」さんのホームページはこちら↓


ルセラフィムの新曲”Easy”はこちら↓

現実逃避にぜひ🎵



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