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#13 太宰治全部読む |これぞ”隠れた名盤”、女性の魂を宿して書く

私は、太宰治の作品を全部読むことにした。

太宰治を全部読むと、人はどのような感情を抱くのか。身をもって確かめることにした。

前回取り上げた『新ハムレット』では、西洋の古典やフォークロアを題材に、現代人の心情や、太宰の思想をブレンドした、新趣向の小説を読んだ。

第13回目の今回は、『きりぎりす』という短編集を読む。キリギリスといえば、バッタ目の昆虫の名前だが……果たして、どのような作品なのだろうか。




太宰治|きりぎりす


「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。……」名声を得ることで破局を迎えた画家夫婦の内面を、妻の告白を通して印象深く描いた表題作など、著者の最も得意とする女性の告白体小説『燈籠』『千代女』。著者の文学観、時代への洞察がうかがわれる随想的作品『鷗』『善蔵を思う』『風の便り』。他に本格的ロマンの『水仙』『日の出前』など、中期の作品から秀作14編を収録。

あらすじ


新潮文庫『きりぎりす』は、1937年から1942年の5年間に執筆された短編を収録している。キリギリスが描かれた装丁が可愛らしい。

直近の「太宰治全部読む」では、西洋古典や日本のフォークロア、実在する友人の日記などを題材にして、そこに太宰が脚色を加えて書枯れた小説を読んできた。

太宰の中期〜後期作品の主だった特徴として、これらの他に、女性の一人称視点の告白体小説がある。

女性を主人公に据えて、一人称視点でその心情を詳らかに描く。生活に抑圧を感じ、苦しい悲痛の叫びを吐露するものや、罪の意識を懺悔するものが多い。


『斜陽』や『女生徒』を読んだときにも書いたが、太宰の女性告白体小説は、彼自身に女性の魂を憑依させて執筆したとしか思えないほど、真に迫る切迫感、躍動感がある。

太宰は、自ら『女性』というタイトルの短編集を編むほど、女性の告白体小説を書くことを得意としていた。本作『きりぎりす』にも、そんな女性告白体の短編が、複数収められている。



女性の魂を宿して書く

女性関係に奔放な太宰のことだから、親しくなった女性たちから、酒の席などできっと、様々な悩みや苦しみを打ち明けられていたことだろう。

太宰は、そんな彼女たちの心の叫びを、彼女たちの視点に立って、彼女たち自身の言葉で書き綴る。そこには、単なる代弁以上の迫力がある。


『燈籠』は、愛する男のために万引きをして捕まった女性の、悲痛な吐露を描く。息もつかせぬ怒涛の勢いで訴えを表明する女性に、終始圧倒される作品だ。

最後の、電燈を取り替えて新しい灯りに心を浮き立たせる、家族のつましい幸福のシーンが、胸に刺さった。

『皮膚と心』は、“ぶつぶつしたもの”への拒絶反応を持つ女性が、突如として身体にできた発疹に悩まされる話。

太宰の文学的空想は、女性の魂を宿すことによって、より大きく羽ばたく。そのことを証明するかのような、凄みのある短編である。

澱みなく溢れ出す女性の言葉。時に脈略を無視して話が逸れたりするが、それが主人公のリアルな心の動きを表しているようで上手い。


そして表題作『きりぎりす』。絵描きの夫を持つ妻の、一人称視点で描かれた短編だ。

初めは自身の芸術表現を純粋に追求していた夫が、評判や名声を獲得し、暮らしが豊かになった途端に、俗物的な人物になってしまったことを厳しく非難する。

妻の鬼気迫る感じが文章から伝わってきて、なんとも恐ろしい。自分の夫に対してそこまで言うかという、異常なまでの糾弾である。

解説によると本作は、太宰が作家として安定した収入を得られるようになった時期に執筆されたとのこと。芸術家として世間の評判を得たことで、良い気になるんじゃないと、自身への戒めも込めて書かれた作品なのだろう。


『千代女』も、女性の一人称小説。読後に様々なことを考えさせられる、今回の短編集の中では、個人的に最も印象に残った作品だった。

小学校時代に作文の才能を認められ、雑誌に掲載された経験を持つ少女を主人公に、彼女自身の文学の才能に対する不安や葛藤を描く。

一度大きな成功を経験していても、それを偶然の産物と考え、かえって自信をなくしてしまう。どんどん悪い方にはまっていく彼女の心境には、確かにそういうこともあるよな……と共感できるところがあった。

本気で創作に打ち込まないことで予防線を張り、自分には才能があるという、精神的な支柱を守ろうとする。主人公の苦悩に共感するとともに、果たしてそれで良いのだろうか……と、色々と考えさせられた。



『人間失格』や『斜陽』もいいけれど

太宰治といえば、世間一般では『人間失格』や『斜陽』の人。

学校の教科書に載るような有名作品ももちろん良いけれど、特に中期の短編には、太宰をあまり知らない人にも読んでほしい、素晴らしい作品がたくさんある。

太宰の「暗い・くどい・難しい」というイメージを払拭するような、きらりと光るような作品があるのだ。


『おしゃれ童子』は、太宰の服装への類稀なるこだわりが分かる短編。

常人には理解されない太宰の美学。それを貫き通すところが太宰らしい。こだわりすぎるあまり、自分の首を絞めることになっている阿呆さ加減も、太宰らしい。

でも、舞台に立つアイドルや役者のファッションに憧れ、真似をする青春時代は誰しもあっただろう。私にもあった。

ミスチルの桜井さんに憧れ、ライブで桜井さんが着ていた衣装によく似た服を買い集め、着用していたあの頃。

しかし、芸能人の衣装は往々にして、舞台上で映えるように派手に作られているので、日常着にすると浮いてしまう……そんなことを、誰もが経験を通じて学ぶのだ。太宰とて同じ。


『黄金風景』は、太宰作品には珍しく、後味の良い好短編。それもそのはず、国民新聞の短編コンクールに応募し、当選した作品とのこと。

負けた。これは、いいことだ。そうでなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。

p55より引用

特に、上で引用した最後の一行が秀逸。「かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える」。

太宰の作品が「光」で終わるのは本当に珍しいので、読み終えたときには感動した。たまにこういうギャップで読者を翻弄してくるから面白い。



これぞ”隠れた名盤”

短編集『きりぎりす』は、太宰の”隠れた名盤”である。

あまり有名な作品は収録されていないが、太宰作品をある程度読み、その特徴や魅力を掴んだ人が読むと、楽しめるような短編が詰まっている。

ミスチルでいう「Q」とか「miss you」みたいな感じだろうか。トリッキーで万人受けしないアルバムかもしれないけれど、ミスチルを深く愛する人には刺さる内容だ。


その代表格が『畜犬談』。『人間失格』や『斜陽』も良いけれど、こういう短編こそ広まってほしいと思う。声を出して笑ってしまうほど面白い。

犬に対する恐怖心、嫌悪感をくどくどと表明しながらも、ひょんなことから家に住み着いた子犬のポチに、徐々に愛情が芽生えていく話。犬に対するツンデレ具合が最高だ。

我が家でも犬を飼っているのだが、犬は一度飼い始めると、本当にいけない。可愛さと愛くるしさにに支配され、人間はなす術もなくなってしまう……。


『水仙』は、やり切れない筋書きだが、太宰の短編の中でも傑作の部類だと思う。

天性の才能を持つ女性が、他意のない周囲の反応から、自身の才能への信頼を失い、狂人と化してしまう残酷な運命を描いている。

二十世紀にも、芸術の天才が生きているのかも知れぬ。

p324より引用

計らずして、彼女の人生を狂わせる一端を担ってしまった太宰の最後の一言に、やり切れなさを感じる。


本作『きりぎりす』を読み、太宰の作品の幅の広さを、改めて実感した。

すぱっと読み切れる短い作品でも、読後に感じる印象は千差万別。文体も作風もバラバラ。でも、しっかりと太宰作品であることはわかるのだ。

『きりぎりす』には、国語や文学史の授業で取り上げられるような、有名な作品は収められていない。でも、この”隠れた名盤”を、多くの人に読んでほしい。そう願ってやまない。



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