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今日も、読書。 |内田洋子さんの魅力を伝えたい

内田洋子|カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想


読書ラジオ「本の海を泳ぐ」、2回目のテーマ本として選んだ作品は、内田洋子さんの『カテリーナの旅支度 イタリア二十の追想』。数ページほどの短編が20作品収められたエッセイ集だ。


ミラノ、ナポリ、ヴェネツィアそして、名もない村や町。そこには人々の暮らしと確かな日常が息づいている。ミラノに住む南部訛りの専業主婦マルタ。海辺の町で出会った黒いビキニのピナ。夫と一人娘の協力で大手銀行の支店長という輝かしい出世をし、そのあと引退したカテリーナの人生。イタリア在住30余年の著者だからこそ、その中に溶け込み、鮮やかに描き出していく珠玉のエッセイ。

あらすじ

「本の海を泳ぐ」で自分が選書をする番になったら、最初は内田洋子さんの作品にしようと決めていた。内田洋子さんの作品の魅力を、少しでも多くの人に知ってもらいたかったからだ。

私なんかが紹介せずとも、内田さんのエッセイには既に多くの愛読者がいるだろう。しかしとにかく、最初は内田さんのエッセイから始めたかった。この記事を読んだ方が、少しでも内田さんの作品に興味を持ち、そして実際に手に取っていただけたら嬉しい。


東京外国語大学、イタリア語学科を卒業した内田さんは、単身イタリアに渡る。以来数十年にわたって、イタリアを拠点に活動されてきた。日本人でありながら生のイタリアの視点を持つ、希有な作家・翻訳家・ジャーナリストだ。

『ジーノの家 イタリア10景』で、日本エッセイスト・クラブと講談社エッセイ賞をダブル受賞。数々のエッセイを出版されているが、どの作品も自身が見聞きした実話を下敷きにして、等身大のイタリアを描いている。イタリアで暮らす人々の、人生の物語に焦点を当てたものが多く、詩的かつ表現豊かな文章で、こまやかな人生の機微を書き綴っている。

「本の海を泳ぐ」で取り上げるにあたって、どの作品にするか非常に迷ったが、自分も未読だった『カテリーナの旅支度』を選んだ。この選択が吉と出る。本作では、イタリアで出会った人々の人生を鮮やかに切り取る、内田さんの技術が遺憾なく発揮されていた。まさに、1冊目に手に取るには、ぴったりな作品だったのだ。


本作は「Ⅰ その土地に暮らして」「Ⅱ 町が連れてきたもの」という2章構成になっており、それぞれに10編ずつ短編が収められている。あらすじにもある通り、ミラノ、ナポリ、ヴェネツィア、サルデーニャなど、イタリアの様々な街を舞台にした人生物語が、贅沢に散りばめられている。

今回は、20編の中で特にお気に入りの、私にとって特別な2編を紹介する。


ハイヒールでも、届かない

ひょんなことから、とあるカトリック系の名門小学校で、週に1度リクリエーションを担当することになった内田さん。その学校に子供を通わせる保護者で、南部出身のマルタという女性と仲良くなる。

マルタは「北イタリアに出て成功せよ」という親の教育方針のもと、ミラノの大学に通っていた。そこで、後に弁護士となる、同郷出身の夫と出会う。マルタは弁護士の夫に献身し、南部出身の野暮ったさが出ないよう、夫好みの「理想の女性」になるべく、日々努める。

長いストレートの金髪。髪をかき上げる指先には、最新のネイルアートが施してある。透き通るような白い肌。いつも半開きにした、肉厚で大きな唇。真っ赤なルージュ。挑むような、でも猫が飼い主だけに見せるような拗ねた目つき。少し上向きの小さな鼻。大胆に開いた胸元には、深い谷間が見える。首飾りはラメで光っている。丸く小さな膝頭がのぞくミニスカート。材肉のない足が伸びている。そして、ハイヒール。

p86-87より引用

身長が低いマルタは、17センチもあるハイヒールを履いている。驚くことに室内でも常にハイヒールを履いており、夫にハイヒール以外の立ち姿を見せたことがないという。「どこで夫のクライアントに見られているかわからないから」と、一瞬たりとも気を抜かず、常に完璧であり続けようとする。

この短編では、イタリア人の潜在意識に巣くう「南北間の格差」が、北イタリアで懸命に暮らす南部出身の女性の姿を通して描かれている。どんなに高いハイヒールを履いても、本当の意味で、北部出身の女性のようになることはできない。イタリアにはびこる社会問題を、何気ない日常生活のワンシーンに見出し、鮮やかに切り取っている点がすばらしい。


掃除機と暮らす

掃除機の実演販売をする女性と知り合った内田さん。その女性は自分の店が立ちゆかなくなり、いかにも胡散臭い掃除機の実演販売を始めるのだが、いつしか掃除機が心の拠り所のような存在となる。掃除機で吸い取ったゴミの塊をうっとりと見つめるシーンもあり、非常に危ない精神状態であることがわかる。

内田さんは彼女に、実演販売の訪問先として、サルデーニャ島で暮らす知り合いの女性を紹介する。まさかミラノから海を渡り、辺境サルデーニャの地まで実演販売をしに行くことはないだろうという算段である。

しかし、なんと彼女は、掃除機とともに海を渡る。内田さんは後日、そのサルデーニャで暮らす女性・スペランツァから、実演販売が来たという連絡を受ける。

スペランツァは、サルデーニャ島の豪邸で暮らしている。夫はイタリア本土で成功しているビジネスマンで、たまの休みにしか家に帰って来ず、家の管理はスペランツァの役割だ。

夫のいない寂しさを紛らわすように、スペランツァは豪邸の掃除にのめり込んでいく。家政婦を雇わず、広い家の隅々まで、毎日欠かさず掃除をする。傍目から見れば、異常とも思えるくらいに。

そんなスペランツァのもとに、掃除機の実演販売がやって来た。販売のパフォーマンスとして、ひと通り掃除機をかけた後にたっぷり溜まったゴミ(おそらく予め仕組んでおいたもの)を見せ、掃除機の性能をアピールする。掃除が生きがいのスペランツァにとって、それは屈辱以外の何物でもなかった。そしてなんと、彼女はその掃除機を購入する。

買った掃除機を、スペランツァは掃除のために使わない。毎日のルーティンで家をすっかり綺麗にした後に掃除機をかけ、ゴミが溜まっていないことを確認して、悦に浸るのだ。ゴミがないことを証明するために、掃除機をかける。倒錯している。スペランツァは、自身がおかしくなりつつあることに気づかない。やがて、夫との心の距離も離れていく――。

この短編では、掃除機というひとつの道具を媒介として、ふたりの女性の物語が描き出されている。海を渡った掃除機が、物語の間の橋渡しをしてくれているような構成が見事である。何気ない日常のアイテムから視点を広げ、ひと繋ぎの物語に仕上げる。内田さんの技術力の高さに唸る一編である。


内田さんのエッセイは、一見すると幸せそうな人が実は抱えている葛藤や、なかなか人に打ち明けられないような悩み、辛かった過去の出来事など、心の内面を掘り下げたものが多い。街を歩く人々は、何でもないような顔をしていても、実はそれぞれの悩みや不安を抱えている。それを表に出さないように、振る舞っているだけだ。

このような打ち明け話を人から引き出すことができるのは、ひとえに内田さんの人柄によるものだろう。人の懐に素早く入り込み、心を解きほぐし、話を引き出す。そしてそれを、美しいエッセイに仕立てる。この一連の流れは、まさに芸術。内田さんにしかできない。

皆さんもぜひ、内田洋子さんの世界に浸ろう。そこには、そこでしか出会えないイタリアがあり、そこでしか味わえない感動がある。読書の秋。読むなら、今だ。



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