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今日も、読書。 |ナポリが大きく笑っていた

2022.8.7-8.13



アンソニー・ホロヴィッツ|その裁きは死


彗星のごとく現れた『カササギ殺人事件』が、日本の本格ミステリ賞海外部門を席巻したのが、2018~2019年のこと。創元推理文庫『メインテーマは殺人』とともに書店に並び、アンソニー・ホロヴィッツが現代ミステリ作家のトップに躍り出たことは、まだ記憶に新しい。

邦訳されているアンソニー・ホロヴィッツ作品は、大きく2つのシリーズに分かれる。ひとつは、『メインテーマは殺人』から始まる「ダニエル・ホーソーンシリーズ」。もうひとつは、『カササギ殺人事件』から始まる「アティカス・ピュントシリーズ」である。

いずれも、頭の切れる名探偵が登場する、王道の本格ミステリである。アガサ・クリスティやコナン・ドイルなど、古典ミステリの巨匠たちへのオマージュが随所に見られることも、大きな美点だ。


実直さが評判の弁護士が殺害された。裁判の相手方が口走った脅しに似た方法で。現場の壁にはペンキで乱暴に描かれた謎の数字”182”。被害者が殺される直前に残した奇妙な言葉。わたし、アンソニー・ホロヴィッツは、元刑事の探偵ホーソーンによって、奇妙な事件の捜査に引きずりこまれて—―。絶賛を博した『メインテーマは殺人』に続く、驚嘆確実、完全無日の犯人当てミステリ。

あらすじ

『その裁きは死』は「ホーソーンシリーズ」の第2作目である。性格にやや難ありだが頭脳明晰の探偵・ホーソーンと、著者自身がモデルでワトソン役の小説家・アンソニーが、難事件に挑んでいく。

まさに、ド直球の本格フーダニットである。1点の曇りもない、純度100%の本格ミステリ。とある弁護士の殺害事件を追ううちに、過去に起こった死亡事故との関連性が浮かび上がってくるという展開も、まさに王道。結局、王道が最も人の心を震わせるのだ。

本作の特徴のひとつとして、アーサー・コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズシリーズ」が鍵となっている点が挙げられる。私は『緋色の研究』とその他いくつかの短編しか読んだことがなく、ホームズオマージュの観点で言うと、最大限に楽しむことはできなかったかもしれない。過去の名作を読んでおくことは、こういう場面で、読書の充実度を左右するものである。


ワトソン役のアンソニー・ホロヴィッツが、現実の著者アンソニー・ホロヴィッツと限りなくリンクしているところも興味深い。小説の執筆や脚本制作など、彼の仕事内容は現実に即している。虚構と現実の境界が、意図的に曖昧になっている。

シャーロック・ホームズシリーズのホームズとワトソンは、あくまでフィクションの世界での探偵と助手という関係である。一方で本作のホーソーンとアンソニーは、フィクションとリアルを超越した相棒という感じがするのだ。また、ワトソン役であるアンソニーが、名探偵のホーソーンに対抗心を燃やし、早く結論に辿り着こうと単独で捜査する展開も熱い。

ダニエル・ホーソーンシリーズは、なんと全10作品で完結予定とのこと。まだまだ彼らの事件簿は始まったばかりなのだ。

探偵・ホーソーンとは何者なのか。捻じ曲がった性格の彼は、過去に何を抱えているのか——数々の突飛な事件が起こる本シリーズで、最大の謎は、実は探偵ホーソーン自身の生い立ちかもしれない。その謎が明らかになる日が、待ち遠しい限りである。



内田洋子|イタリア発イタリア着


私はとにかく、適応能力が低い。

変化に弱いのである。自身を取り巻く環境が変わると、それに適応するために長い時間を要する。長い時間をかけて、結局うまく順応できないということもよくある。そんな私が、大学時代にイタリアに1年間留学していたのだから、驚きである。

留学中、やはり私は、イタリアの常識に馴染むことができなかった。徐々に慣れはしたが、根本的に受け入れることは、最後までできなかった。

たった1年間の滞在で何を偉そうにという感じだが、仮に数年、数十年滞在するとなっても、おそらく私はイタリアに順応できなかっただろう。というよりも、日本の常識を捨てることができなかっただろう。それを身をもって学んたことが、留学の最も大きな成果だったと言えるかもしれない。

異国の地に溶け込み、うまく暮らしていくためには、どうすべきか。その答えのひとつが、『イタリア発イタリア着』の中にはある。


イタリアに関わり40余年——。追いかけ、見つけたものとは?留学した南部ナポリ、通信社の仕事を始めた北部・ミラノ、リグリアの港町で出会った海の男達、古びた船の上での生活……。南から北へ、都会で辺地で。時空を超えて回想する。静謐な紀行随筆集。

あらすじ

大学を卒業後、単身イタリアの地で生きていくことを決めた内田洋子さんの、エネルギーと適応能力の高さにただただ圧倒される一冊。イタリアという国と二人三脚で歩んできた、内田さんの40年余りの歴史が、ぎゅっと凝縮されている。

内田さんのエッセイを読むといつも感じることだが、とにかく彼女の人生は、密度が濃い。人との関わりが多く、自身の1度きりの人生の中で、何人分もの人生に寄り添っている感じだ。内田さんのすさまじい行動力、そして人の懐に入り込んでいくコミュニケーション力には、畏怖の念を抱くほどだ。


問題がなくて当たり前の国から、問題はあって当然の国へ。
遅刻してよかった。
<ようこそ>。ナポリが大きく笑っていた。

p62より引用

イタリアは、良くも悪くも、日本とは大きく異なる国だ。文化も歴史も経済活動も、根底の部分で異なっている。当然のことだ。しかし、この当然の相違を受け入れ、日本の常識からイタリアの常識に照準を合わせるのは、容易なことではない。

上記の引用部分について説明すると、内田さんは大学時代、ナポリの大学に留学していた。その留学初日、現地の教授と「午前中に大学で会う」という約束をする。慣れない異国の土地で緊張もあり、内田さんは余裕を持って、朝早くに家を出発してバスを待つ。

しかし、待てども待てども、一向にバスはやって来ない。ナポリという街は、特に朝方、交通渋滞がすさまじいのである。時刻表通りにバスが到着するなんてことは、万に一つも起こらない。

バス停でひとり途方に暮れていた内田さんを見るに見かねて、近くのバールの店主やお客さんが声をかけ、ナポリの街の常識を教えてくれる。バスが時間通りに来ることなんてないのだから、待つなんて無駄だよ。まあコーヒーでもどうだい?

そんな経緯を振り返り、内田さんは「遅刻してよかった」と言うのである。何も知らず、ただただバスを待つという無駄な行為が、結果として、ナポリの人々との交流を生んだ。その瞬間、彼女にとってのナポリが始まった。見習うべきポジティブ思考だ。私だったら、ここまで鮮やかな発想の転換はできないだろう。

「郷に入っては郷に従え」という言葉があるが、言うは易く、行うは難しだ。しかし、環境の変化にうまく対応するためには、思考をクリアにして、一旦「郷に従ってみる」ことこそが大切なのだろう。それが自分に合うか合わないかは、その後に判断すればよいのだ。


本作で特に衝撃的だったのは、内田さんの船上生活である。

内田さんは頻繁に引っ越しをする方で、イタリアの様々な都市を転々としてきているのだが、一時期、古い帆船の上で暮らしていたというから驚きだ。住所を持たない、不安定な生活。文字通り、海の上なので地盤も不安定である。

しかし内田さんにとっては、何よりもまず、船の上で暮らすことへの好奇心が勝ったのだろう。結果として、その時の船上生活の経験が、素晴らしいエッセイ作品に繋がっている。

自分に内田さんのような生き方ができるかどうかは別として、一度きりの人生、何か面白いことが起こりそうな選択をしていきたい。そう思えた読書だった。



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