見出し画像

今日も、読書。 |イタリアらしい恋愛とは?

2022.7.24-7.30



内田洋子|どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語


もつれるほど、気になる相手。
どうしようもないのに、好き。
だから、好き。
それは私がイタリアに抱く気持ちと、とてもよく似ている。

p235、あとがき

イタリア人の「恋愛」をテーマに紡がれた、15編の短編集。各短編の恋愛物語は、内田さんが実際に知り合った人々の話をベースにして書かれている。

内田洋子さんの鋭い観察眼や、相手の懐に入っていく温かな人柄、切れ味の鋭い考察、そして表現豊かな文章が、余すことなく楽しめる一冊。人と人との関係性を深掘っていく「恋愛」は、内田さんの取材力や人付き合いの上手さが、特に際立つテーマである。

好奇心に満ち個性豊かなイタリア人の恋愛は、万華鏡のよう。秘めた関係を覆う、濃厚な薔薇の香り。絵に描いたような幸せの切ない顛末。きらめいて、でもすぐに消えてしまうシャンパンの泡に似た恋。老熟した愛は、すべてを赦す深い慈しみ……。解こうとするほどいっそうもつれる人間模様は、役者が次々と入れ替わる舞台さながら。イタリアの暮らしを通して内田洋子が綴った、15の恋愛物語。

あらすじ

装丁の写真は、フェデリコ・フェリーニ監督の『Giulietta degli spiriti(邦題:魂のジュリエッタ)』という映画の一幕。夫の浮気に悩む婦人の、心象風景が描かれた作品だ。「浮気」や「別れ」は恋愛の中でも暗いテーマだが、本エッセイの表紙にするには、ぴったりの作品かもしれない。


イタリアには、ナンパが好き、恋愛に積極的といったステレオタイプがある。あけっぴろげに、自由に恋愛をするようなイメージ。自身の想いを包み隠さず相手に伝え、隠し事やねちっこい恨みつらみは、あまりなさそう。

もちろん、そういうイメージが正しい場合もあるだろう。しかし本作を読むと、少なくとも私たちがイタリアに抱いている印象が、ひどく偏ったものであったことに気づかされる。イタリアにも、内気で自己表現が苦手な人もいれば、相手に隠し事をしまくっている人もいるのだ。


15の恋愛物語は、必ずしも幸福な結末を迎えるものばかりではない。すれ違い、傷つけ合い、別れを選ぶ男女の物語も、多く収められている。

本作を読んでいると、心温まる恋愛話もあるが、どちらかというと少しほろ苦い、別れの物語が際立つ。強烈な個性を持つ男女の恋愛、互いに持ち合わせていない性質を補完する依存関係、ひと時の情熱に燃え上がった刹那的な関係性——。

出会いと別れを繰り返す、彼らの悩ましい恋愛模様の中に、人はなぜ惹かれ合うのかという、大きな命題が立ち現れてくる。そこには「イタリアらしさ」という偏見はなく、ただ純粋に、人間がなぜ惹かれ合うのか、という興味がある。内田さんは、こう述べている。

<恋愛>がイタリアの代名詞のように思われるのは、イタリア人が人に対して尽きない好奇心を示すからではないだろうか。人に興味を持つということは、自らを知ることである。
恋愛は、知らない自分を探す旅のようなものなのかもしれない。

p233、あとがき

そして本作の最大の魅力は、読後に残る心地良い余韻だ。食後のコーヒーの香りのように、ほのかに立ち昇る。登場人物たちの、物語の後の人生に思いを馳せ、ただ幸せであってほしいと願いをこめる。



東野圭吾|真夏の方程式


私の「ガリレオシリーズ」の記憶は、実は『真夏の方程式』から始まっている。それも、福山雅治さんが主人公の湯川学を演じる、劇場版の記憶からだ。

湯川先生と小学生の恭平が、ロケ地西伊豆の海でペットボトルロケットを飛ばすシーンが、脳に焼き付いている。夏空の下、湯川先生が旅館の方を振り返り、2階の窓を仰ぐシーンも、なぜか印象に残っている。映画を観てからかなり時間が経っているため、実際はそんなシーンは存在せず、私の中で勝手に作り上げられた記憶かもしれないが。

その後、ドラマシリーズも全て観た。湯川先生が黒板にびっしりと数式を書きながら推理するシーンは、子供ながらに憧れた。なぜ自分が理系の道に進まなかったのか、不思議なくらいだ。しかしその後、原作である東野圭吾さんの『探偵ガリレオ』を初めて読むのは、「真夏の方程式」公開から数年後、私が大学生になってからとなる。


『探偵ガリレオ』『予知夢』『容疑者Xの献身』……と、シリーズ作品を、少しずつ読み進めてきた。直木賞受賞作である『容疑者Xの献身』の魅力を熱く語りたいところだが、今回の本筋とは外れてしまうため割愛する。

そしてこの度、『真夏の方程式』を読んだ。約9年の時を経て、私のガリレオシリーズの原点に帰ってきたわけだ。原作を読んでいて、当時観た映画の映像や、小学生の頃過ごした夏休みの日々など、懐かしい記憶で胸が満たされた。とても良い読書だった。


夏休みを玻璃ヶ浦にある叔母一家経営の旅館で過ごすことになった少年・恭平。一方、仕事で訪れた湯川も、その宿に宿泊することになった。翌朝、もう一人の宿泊客が死体で見つかった。その客は元刑事で、かつて玻璃ヶ浦に縁のある男を逮捕したことがあったという。これは事故か、殺人か。湯川が気づいてしまった真相とは——。

あらすじ


ガリレオシリーズの最大の魅力は、物理学者であり本シリーズの探偵役、湯川学だ。彼の物事の考え方、生きるスタンス、科学への静かな情熱、そして独自の距離感で事件に関わるポリシーが、非常に魅力的である。臆せずズバズバとものを言う姿勢も痺れる。大人の余裕と、子供のような好奇心が、共存している人物だといえる。

『真夏の方程式』で特に注目したいのは、湯川先生と恭平との関係性だ。彼らは玻璃ヶ浦に向かう新幹線の中で偶然出会い、ペットボトルロケットの実験などを通じて、徐々に信頼関係を築いていく。

恭平は両親が共働きで多忙のため、ひとりきりで過ごすことが多く、聞き分けの良い子供を演じて、色々と我慢してしまうところがあった。困難に直面した時、流れに任せた方が良いと諦める癖がついていた。しかし湯川先生と出会い、科学的思考や彼の哲学を教わる中で、心境が変わっていく。

湯川先生の恭平に対する接し方は、一見大人げないように見えて、実は誰よりも、恭平をひとりの人間として尊重している。子供だからといって説明を省いたり、対応に手を抜いたりせず、対等にコミュニケーションを取っている。自ら「子供嫌い」を称する湯川先生だが、子供だからという理由で全員を嫌うのではなく、しっかりと人を見て判断していることがわかる。


余談だが、『容疑者Xの献身』の湯川先生もとても良い。普段は冷静沈着な湯川先生の、友を想う強い気持ちが垣間見える。皆さんガリレオシリーズを読んで、彼の魅力的な人柄に触れてほしい。

最後に、湯川先生の名言を引用しよう。彼の学問に対する真摯な姿勢は、そのまま、人生の困難を乗り越えるヒントにもなるだろう。

どんな問題にも答えは必ずある。だけどそれをすぐに導き出せるとはかぎらない。人生においてもそうだ。今すぐには答えを出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。そのたびに悩むことには価値がある。しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められている場合も少なくない。だから人間は学び、努力し、自分を磨かなきゃいけないんだ。

p461より引用



↓「今日も、読書。」のイチオシ記事はこちら!

↓「今日も、読書。」の他の記事はこちらから!

↓本に関するおすすめ記事をまとめています。

↓読書会のPodcast「本の海を泳ぐ」を配信しています。

↓マシュマロでご意見、ご質問を募集しています。

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,643件

#読書感想文

190,388件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?