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今日も、読書。 |「Vシリーズ」を読み終えてしまいました

森博嗣|Vシリーズ

ミステリ好きなら誰もが知っている『すべてがFになる』から始まる、「S&Mシリーズ」。

本シリーズを読み終えた私は、しばらく犀川・萌絵ロスから立ち直れずにいたが、やがて導かれるように、『黒猫の三角』から始まる「Vシリーズ」を読み始めた。

そしてとうとう、Vシリーズ全10作品を読了した。初めは犀川・萌絵ロスがあまりに大きく、保呂草や紅子ら、Vシリーズの登場人物たちになかなか馴染めなかった。しかし中盤から終盤にかけて、徐々に彼らに親しみを覚えるようになり、気が付けば、みんな好きになっていた。

今回は、森博嗣さんのVシリーズについて、ネタバレなしで語りたい。S&Mシリーズは読んだけど、それ以降は……という方、私も同じだったので気持ちは分かるが、ぜひVシリーズも読むことをお勧めする。




Vシリーズは、主要登場人物のひとりである保呂草潤平が、友人である小鳥遊練無、香具山紫子、瀬在丸紅子の視点をまじえながら、自身が遭遇した事件を回想するというスタイルを取っている。

本作の探偵役は瀬在丸紅子。彼女はS&Mシリーズの犀川創平のように、常人離れした頭脳を持っている。因みにVシリーズの「V」は、瀬在丸紅子(Veniko)のVから来ている。


本作最大の魅力は、個性豊かな登場人物たちである。

保呂草、瀬在丸ら、主要登場人物の4人はもちろん、林や祖父江など脇を固めるキャラクターにも、素晴らしい魅力が備わっている。彼らの個性が作品の中でぶつかり合い、なかなかにカオスな状況となるのだが、それが本シリーズ最大の楽しみであると私は思う。

たとえば保呂草と紅子の、天才同士の高次元の会話。S&Mシリーズの犀川と萌絵の会話を彷彿とさせる。また、練無と紫子のジョークをこれでもかと詰め込んだテンポ良いやり取り。そして紅子と林、祖父江のドロドロの三角関係。シリーズ全体を通して、森先生らしいウィットに富んだキャラ設定が、混沌としているようで、だがしっかりとハマっている。


人物同士の関係性はもちろんのこと、人物単体の魅力も、どこまでも深掘っていけるほどに奥が深い。

たとえば小鳥遊練無は、国立大学の医学部に通う秀才。ヒラヒラとしたドレスを身につけ、完璧な女装をする。そのうえ、少林寺拳法の心得も有しており、暴漢を圧倒するほどの腕前だ。

探偵役である瀬在丸紅子の人物像は、作中で最も捉えにくい。令嬢のような気品漂う振舞いをするかと思えば、傲岸不遜な態度を取ったり、少女のように相手に甘えたりもする。対する人やその時の状況によって人格が変わり、どの人格が紅子本来のものなのか、判断がつかない。

そんな複雑な、いやむしろ人間としてはごく自然かもしれない人物造形は、森先生にしか作れない。女性警察官とひとりの男性を取り合うような探偵が、果たしてこれまでいただろうか……。

そして個人的には、祖父江七夏さんが本シリーズのMVPキャラクターである。天才や変人だらけのシリーズ中で、良い意味で彼女は「普通」だ。私たち読者に近い思考、近い感覚を持っている。

そして、林という警部をめぐり紅子と恋敵なのだが、彼女の振り回されっぷりが、読んでいて不憫に思えてくる。特に終盤にかけて、私は祖父江さんに感情移入しまくりで、常に彼女を応援していたように思う。



さて、Vシリーズはミステリ作品だ。ミステリとしての魅力はというと、事件が起こるシチュエーションや死体、トリックなどが特殊で面白い。たとえば『魔剣天翔』では、飛行ショー中の小型飛行機の中で殺人事件が起こる。

そして、紅子の天才的な推理。泥臭い捜査はほとんどせず、論理的な思考に裏付けられた、大胆かつ緻密な推理を展開する。恐ろしいくらいに完璧である。

紅子の興味深いところは、動機があって殺人を起こすという、「動機→殺人」という因果律を、重視していない点だ。

彼女は、動機のない純粋な殺人というものがこの世には存在するとし、その意味では、殺人を理解できると言う(ただし彼女自身は、自分が殺されたくないという理由により、どんな考えであれ殺人を肯定しないという立場を取っている)。

原因と結果という因果律は、実は事後に意味づけられたものにすぎない。言い換えれば、すべては事後の解釈に過ぎない。

p589より引用

動機から犯人を特定するプロセスを、私たちは常識的な回路として認識している。何か理由があるから、人は殺人を犯すのであり、理由がなければ、おかしい・異常と考える。

森先生は、その常識に対して懐疑を投げかける。動機とは第三者が勝手に構築した虚構であり、「動機→殺人」のプロセスは常に真ではない——。

私たちは普段、物事を典型例で認識する。殺人事件があれば、そこには金や恋愛のもつれなど、何らかの動機があると決めてかかる。その思い込みの呪縛から逃れることは難しく、Vシリーズの登場人物たちも、思い込みによってしばしば壁にぶつかってしまう。紅子は、そこに鮮やかに亀裂を入れるのだ。


中盤の『夢・出逢い・魔性』や『魔剣天翔』あたりから、シリーズの楽しみ方が変わってくるのも、大きなポイントだ。鍵となるのは、保呂草潤平である。そして『捻れ屋敷の利潤』は、なんとあのS&Mシリーズとリンクしたスピンオフ作品。萌絵(と国枝先生)の再登場と、保呂草との頭脳戦に興奮した。

そして10作目の『赤緑黒白』を読み終えた後、もう彼らの物語の続きは読めないのかと、どうしようもなく寂しくなった。結局、S&Mシリーズに匹敵する喪失感を、結局Vシリーズでも味わうこととなった。

そしてまた、導かれるように四季シリーズを読み始めている。その先にはきっと、シリーズを読み終えた時の満足感と、それに比例した大きな喪失感が、再度待ち受けているのだろう。その繰り返しの中で、私は森先生の手中に深く深く沈み込んでいく。森博嗣の沼は深い——。



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