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スタンドは日本代表チームを応援するサポーターが掲げた日の丸でいっぱいになりました。ところが、このとき掲げられた紙の日の丸の多く(二万枚)は、じつは神職者の組織が配布したものであることが後で分かりました。 2020/08/22

 娘のピアノの発表会というのがあって、久しぶりに祖父母も孫に会うことができた。幼稚園時から小学校低学年くらいまでの子供たちの発表会なのだけど、中には本格的な曲を弾く子もいたりする、エリーゼのために、とか。

 正直自分の子供以外のところは大して興味もないのだけれど、なんとなく聞いていたら聞き覚えのあるフレーズが。「お風呂が沸きました」の曲が流れてきたのだ。プロフラムを確認すると、テステンという作曲家の「お人形の夢と目覚め」という曲らしい。ちょっと眠かったけれど、目が覚めた。お風呂沸いちゃったから。この曲のことが知れただけでも行く価値あった。ちなみに長女は米津玄師の「檸檬」弾いてた。「檸檬」は梶井基次郎派なのだが。

 こういう曲、いわゆるマエストロが弾いてるCDってないのだよな、と思う。ツェルニーとかバイエルとか、そういうのをガチンコのマエストロが弾いたものを聴いてみたいのだけど、ないんだよなぁ。ポリーニがめちゃくちゃ機械的に弾くのとか、聴いてみたいのだけど、もちろんそんなことはないものねだりである。

 ようやく石田英敬『記号論講義』読了。身もふたもないロジカルな視点が痺れる。記号とそれが意味するものを考えることは、記号から意味されるものを仕掛けたい人たちがいることを考えることにもなる。例えばスポーツと悲劇とナショナリズムに関して。

 スポーツは悲劇のようなものではあっても、悲劇ではありません。実況中継の語りは、スポーツをドラマのようなものに仕立て上げようとしますが、じっさいにはスポーツには分節化した語りのことばはありません。ことばよりももっと具体的な意志と身体の動きがあるだけです。悲劇においてドラマを成立させているような、共同体に共有された神話的枠組みもありません。
石田英敬『記号論講義』P.417
 二〇〇二年に開催されたサッカーのワールドカップ韓日大会では、次のようなことがありました。一次リーグ戦日本対ロシアの試合で、日本代表チームは、1対0でワールドカップ初の「歴史的勝利」をあげました。この試合、スタンドは日本代表チームを応援するサポーターが掲げた日の丸でいっぱいになりました。ところが、このとき掲げられた紙の日の丸の多く(二万枚)は、じつは神職者の組織が配布したものであることが後で分かりました。「日本人としての素地」をつくるためであると新色の組織は日の丸の配布の理由を語っているということです。
石田英敬『記号論講義』P.419

 まぁ、そんなにスポーツに興味がないのだけど、こういう日の丸配布とナショナリズムの高揚みたいなことが巧みに行われているのだなぁ、ということを知っておくことは悪いことじゃないと思うというか、知らなかったのでとても興味深かった。

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