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言語化されなくてもそこに何かがあるのはわかる、そこに何かがあることがわかっているのにそれを言語化しようとするから何もないことになってしまう。言葉は人間の活動の全体でなくごく一部なのだ。 2020/08/09

 日曜日は朝8時からプールがある。なので、それを送迎しなければならない。最近は5時くらいまでには起きているからなんの苦もなくなった。5時くらいまで起きていた頃は眠かった。

 保坂和志の『読書実録』を読んだ。なんか本にまつわるエッセイかなと思って特に中を確かめることもせずに買ったのだけど、そんな甘っちょろい物ではなかったので、甘っちょろい気持ちで買った自分は、なんだろう、でも別に甘っちょろい気持ちで買って読み始めなかったら、最初からわかっていたら買わなかったかもしれないし、買っても読み始めるまでに気合と時間が必要だったかもしれないのだから、まぁ甘っちょろい気持ちで買ったのは良かったのかもしれない、とも思う。

 タイトルの如く読書の「実録」なのだけど、それは吉増剛造の筆写の話から始まり、写経のように書き写すという行為に至り、そのように抜き書きした言葉が他の言葉や記憶を呼び寄せて展開していく。あぁ、これが「実録」なんだな。読むことで、書くことで、起きたことを記すような試み。

 吉増剛造との出会いは本人による『石狩シーツ』の朗読CDとの出会いだった。一聴してたまげた。たまげたという字は魂消たという字を当てる時があるが、それまで朗読というのは、小学校の教室でなんでかわからないけれど順番に声に出して文字を読む、その程度の認識しかなかったので、それくらい驚いたのは当然というか、とにかく魂消た。

 「石狩シーツ」は『花火の家の入口で』という詩集に入っていたはずだが、今となってはあまり売られていない様子。まぁ詩集ほどその機を逃すと手に入りづらいものはないような気もする。なので、日本の古本屋で見つけたものをこれを機会に買い求めることにした。

 普通ハ解釈ガ一通リニナルヨウニ書クンデスヨ。ソレガ小説ノ明噺サトイウコトナンデスガ、カフカノ場合ハ一通リデハナイヨウニ書イテイルトイウ特徴ガアルンデスネ。トイッテモ日記デサエモ、ワカッタト思ッタ瞬間ニマタスウットワカラナクナル。説明シテクレルカト思ウト、説明ガマタ別ナ世界二入ッテイッテ、ソレガ物語ニナッチャウ。説明ジャナクナッチャウンデスネ。ソウイウ奇異ナ書キ方ヲシテイル人ナンデス。
保坂和志『読書実録』P.21

 いまさらなんでカフカのことをと思わんでもなかったけれど、なんかそのわかったと思った瞬間にわからなくなるというか、捕まえたと思った途端に消えているというか、そういう言葉というか、小説というか、散文というか、そういうものに対する関心ってことなのかなとじわじわと理解できてきたような気がする。なんかそれはとても詩のような散文なのかもしれなくて、今読んでいる朝吹真理子にときおり感じるあのふわっと浮かんでは消えるイメージのような言葉とかは近いのかもしれないな、なんて思ったりした。あ、それとドルフィーの有名な言葉も思い出した。

 When you hear music ,after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.
Eric Dolphy

 死の直前のライブで語られたこの言葉が録音されて、死後も長く残っているというのがなんとも不思議な気分だろうなぁ、と思うのだけど、この言葉って、たまたまそのライブで言った言葉なのだろうか。それともMC的によくいう台詞だったりしたのだろうか、なんて少し興醒めするようなことも想像してみたりする。

 言葉は光であるというヨハネの福音書の言い方を借りるなら、言葉の届かないところは”闇”だということになる。”闇” には言葉がない。 言葉がない、つまり言語化されなければ人間にはそこに何があるかわからない。何かがあっても人間には理解できない。言葉が届かないということは、何もない状態と限りなく同じである――と、堂々めぐりのような論法だけれど意味としてはこういうことだろう。」
  九四年に私はそう書いた、いま私は「言語化されなければ人間にはそこに何があるかわからない」と言わない。
 「言語化されなくてもそこに何かがあるのはわかる、そこに何かがあることがわかっているのにそれを言語化しようとするから何もないことになってしまう。言葉は人間の活動の全体でなくごく一部なのだ。」
保坂和志『読書実録』P.188

 すべてはここに集約されていて、言葉にできないもの自体は存在していないのではない、言葉として認識できなくても、そこにある。そう言った名付けえぬものの周りをめぐる言葉、彷徨う言葉、たゆたう言葉、のようなものがあっても良いはずで、そういうものを書こうとしていくなら、今後の作品も楽しみなのだけど、果たしてそれは書き留められる言葉なのかな、ということを思ったりもする。きっと作家自身も捉え難いことばのような気もして、書き留めた端から消えていくんじゃないか、という気がしないでもない。

 昼ごはんは、焼きそばパーティーをした。ワインやらウイスキーやらをひとしきり飲んで寝た。 

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