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話したくなる 整形外科 人物・用語ものがたり

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歴史上の偉人を悩ませた整形外科疾患,もしくは発見者の名前を冠した症例について,筆者独自の視点を盛り込んだエッセイです。
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#専門医

第4回 外科医のなかの外科医,偉大なる巨人 Colles骨折:橈骨遠位端骨折の歴史

Abraham Colles(1773〜1843) はるか昔の学生時代,手関節の骨折は名前が付いていて,「Coll…

第5回 内外合一 活物窮理:日本の近代外科学を作り上げた華岡青洲の麻酔薬と整骨術

華岡青洲(1760〜1835年) ケガや病気で苦しいとき,痛みがなければ頑張れそう,そう感じるの…

第6回 彼はいったい,何処の惑星からやってきたのだろう:不自由を超えたサッカー選…

Garrincha(1933~1983) 本日(11月24日)の日本は朝っぱらからアツかった! というのも,…

第7回 痛風のない日本:Luis Froisが見た世界

Luis Frois(1532〜1597) Luis Frois(ルイス・フロイス)はポルトガル出身の宣教師である。…

第8回 百の頂に百の喜びあり:深田久弥と結核と百名山

深田久弥(1903〜1971) 「深田久弥(ふかだきゅうや)」という名前で「お,百名山を選定した…

第9回 欠けない月はわが瞳のせい?:文字文化の始まりと糖尿病と藤原道長

藤原道長(966〜1028) 日本の歴史のなかで必ず勉強する平安時代の有名人,藤原道長。彼は現…

第10回 人生最大の報酬とは,知的活動そのものである:キュリー夫人のラジウム発見と被曝

マリ・キュリー(1867〜1934) 医療になくてはならないX線は,1895年にレントゲンによって発見されたのは皆の知るところである。翌年ベクレルが,ウランに放射線を出す能力(放射能)があることを発見し,キュリー夫人(マリ)が夫ピエールとともにウラン以外の元素も調べ,1898年にポロニウム,ラジウムを発見している。マリとピエールは純粋なラジウムを作り出すのにくずウラン11トンをひたすら精製したとされる。自分たちの発見のためとはいえ,気の長くなるような肉体労働であったに違いな

第11回 一番古い? 登山家は?:アイスマンは何者か

アイスマン(BC 3000年) あるとき,編集者さんから「今度のエッセイ,登山家やクライマーの…

第12回 橈骨頭の脱臼の整復への200年チャレンジ:Monteggia fracture-dislocations

Giovanni Battista Monteggia(1762〜1815) 今回はMonteggia脱臼骨折で有名なGiovanni Batti…

第13回 ペリーの黒船来航と,いとあやしき病

Matthew Calbraith Perry(1794〜1858) Matthew Calbraith Perry(以下,ペリー)の黒船来航…

第14回 偉大なる改革者,Codmanの考える医療:Codman triangle

Ernest Amory Codman(1869〜1940) 調べものをしているときに「Codman」の名前が目に留まっ…

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第15回 骨の感染の歴史:実は恐竜まで遡る? 骨髄炎の名付け親,オーギュスト・ネラ…

Auguste Nelaton(1807〜1873) 私の新天地での生活ももうすぐ1カ月(執筆時)。新しい職場…

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第16回 実験医学の父,ジョン・ハンター:これは実験なのか,奇行なのか?

John Hunter(1728〜1793) 患者を治療するにあたり,患者をよく観察し,どのような状態か判…

第17回 天然痘を撲滅:ジョン・ハンターの愛弟子,エドワード・ジェンナーの試み

Edward Jenner(1749〜1823) 世の中で人の手によって撲滅されたウイルスって何だろう? と考えると,1980年にWHO(World Health Organization,世界保健機関)が撲滅宣言した天然痘くらいしかない(日本では 1974年を最後に消滅した。世界最後の患者は 1977年ソマリアのアリ・マオである)。天然痘は紀元前1万年頃にはすでに存在し,世界中に感染を広げていた猛烈に強いウイルスであった。 撲滅可能なウイルスの条件とは何かを考えると,①