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第11回 一番古い? 登山家は?:アイスマンは何者か

アイスマン(BC 3000年)

あるとき,編集者さんから「今度のエッセイ,登山家やクライマーのケガとかどうですか?」なんて話が持ち上がった。とは言っても,皆さん滑落か遭難が多く,百名山もない県にあるうちの病院に搬送されることはない〔注:当時筆者は東京歯科大学市川病院(千葉県)勤務〕。うーん,何かないかなぁとGoogle先生で「世界の登山家」を調べてもらうと,アイスマンという名前が出てきた。

アイスマンは1991年,イタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷(海抜3,210m)の氷河から発見された紀元前3300年頃のミイラである。え,相当高いところにいるけど,アイスマンはどう考えても登山家じゃない気がする……。

アイスマンは推定年齢47歳前後,身長160cm,体重50kg,脂肪が薄く髪は茶色,瞳も茶色,白人と思われる氷河遺体である。通常,氷河遺体は氷河の動きによってばらばらになってしまうが,アイスマンは五体満足の状態であった。発見時は単なる遭難者と思われていたが,身に着けているものが現在のものとはかけ離れており,古代の人間と判明されたそう。蛇足であるが,1991年は氷河遺体が非常に多く発見された年であった(1年間で6体)。この数は1952〜1990年までに発見された遺体数と同じである。アイスマンはうつぶせの状態で上半身が氷河から飛び出ていた。彼はたまたま登山道の比較的近くにいたため,登山中の夫婦に偶然発見された。氷にとらわれているアイスマンの頭を手でつかんで最初に顔を眺めたのは,偉大なる登山家メスナーである。

アイスマンは解凍され単純X線検査やCTによる解析と解剖が行われている(今は再び冷凍保存中)。それらの調査によると,氷河の影響による死後に加えられた外傷を除くと,アイスマンは時相の異なる多発肋骨骨折(左はすべて治癒しているが,右は仮骨形成がない)があった。また,右上腕骨の骨密度が左より低い状態であり,肋骨骨折の治療のために腕を動かしていない可能性が考えられた。これらの外傷は亡くなる2,3週間前の外傷であると思われる。たかが肋骨骨折であるが,されど肋骨骨折,当時ケガというのはどんなに些細なものでも命を落とす原因になるのだろう。加えてアイスマンは腰椎や距骨下関節の変性が認められた。腰痛治療のためのツボ治療などもされていた(ツボの位置に一致する入れ墨が入っている)。アイスマンのツボ治療の痕は,鍼灸による治療が中国由来ではない(ヨーロッパ発祥?),もしくはこのような治療がわれわれの予想以上に大陸間に広く伝承されているのではないか,と想像できる。いずれにしても,若いうちから過酷な労働をしていたのだろう,きっと。

最後に,アイスマンの歯の摩耗は非常に強いが,虫歯が1本もなかったこと(今や全世界の9割が虫歯もち),ピロリ菌が胃内に存在していたことが挙げられる。ピロリ菌が発見されたのは1979年,培養できたのが 1982年なので,長いこと胃内に隠れていたことがわかる。

文献
1)コンラート・シュピンドラー著,畔上 司 訳.5000年前の男.東京:文藝春秋;1998.

(『関節外科2023年 Vol.42 No.6』掲載)


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