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第17回 天然痘を撲滅:ジョン・ハンターの愛弟子,エドワード・ジェンナーの試み

Edward Jenner(1749〜1823)

世の中で人の手によって撲滅されたウイルスって何だろう? と考えると,1980年にWHO(World Health Organization,世界保健機関)が撲滅宣言した天然痘くらいしかない(日本では 1974年を最後に消滅した。世界最後の患者は 1977年ソマリアのアリ・マオである)。天然痘は紀元前1万年頃にはすでに存在し,世界中に感染を広げていた猛烈に強いウイルスであった。

撲滅可能なウイルスの条件とは何かを考えると,①人にしか感染しない,②不顕性感染がない,③有効性のあるワクチンの存在,が揃わないとダメである。現時点で撲滅できそうなウイルスはポリオと麻疹くらいであるが,なかなかうまくいっていないのが事実である。

前回紹介したジョン・ハンターの愛弟子であるエドワード・ジェンナーは,もともとイギリスの田舎に住む医者であった。ジョン・ハンターの解剖学教室の門を叩き,ジョン・ハンターの手ほどきを受けて,人や動物の解剖を学んでいる。彼はジョン・ハンターととても相性がよかったのか(?)師弟関係を超えた友情で結ばれ,多くの手紙を交わしている。彼の子供の名付け親もジョン・ハンターであったりする。彼はジョン・ハンターの教えである「自分の目で見て自分で考える,常に疑問をもつ」を実際に行った人物でもある。当時は信仰に基づいた考えが主体であり,人というもののすべてを詳らかにすることは神への冒涜のように思われていた。実際,遺体を解剖されてしまうと,最後の審判の後で復活できないと信じられており,ジョン・ハンターの解剖の餌食にならないように逃げまわる人もいたくらいである。

ジェンナーの生きていた時代に,天然痘はしばしば流行していた。天然痘の予防接種を試みたのは実のところジェンナーが最初ではなく,メアリー・ウォートリー・モンダギューだったらしい。彼女は外交官の妻としてトルコへ赴任した際,トルコで民間療法的に行われていた天然痘(水痘ともいわれている)の膿から採取した液体を人へ接種する人痘を広めた。しかしながら,この方法はいわゆる生ワクチン接種であり,実際に天然痘ウイルスを感染させる方法である。このため少なくない死亡者を認めていた。中国では,17世紀半ば頃に南部で社会上層階級で人痘が行われている(死亡率は低めだったらしい)³⁾。

ジェンナーは自分の地元で乳搾りに従事する女性が,牛痘にかかると天然痘にかからないという言い伝えを聞きつけ,天然痘の予防に使えないか考えた。牛痘ウイルスはポックスウイルス科オルソポックスウイルス属に属するDNAウイルスであり,種々の動物を宿主にする。主な症状は,結節,水疱,膿疱などであり,人が感染しても症状が軽い。天然痘ウイルスと牛痘ウイルスは近縁のウイルスである。当時はこのような詳しいことはジェンナーの知る由もないが,ジェンナーは牛痘で天然痘と同様の発疹や水疱が出現することに着目し,牛痘をジェンナーの使用人の子供(ジェームス・フィップス)に接種した。彼は発熱程度の軽度の症状を訴えるのみであった。6週間後に天然痘の膿を接種したが,彼は天然痘に罹らなかった。これより牛痘ウイルスを用いた牛痘法が確立された。

ところが,近年の研究では牛痘ウイルスと天然痘ウイルスには免疫交差の作用はなく,種痘に用いられたウイルスは別物ではないかといわれている。最も疑わしいのは馬痘ウイルスと考えられ,ジェンナーの腫瘍はたまたま馬痘ウイルスに感染した牛を種痘として利用した偶然の産物であると考えられた¹⁾。まあ,いずれにしても,努力したものに与えられる奇跡なのかもしれない。

日本の「赤べこ(図1)」や「さるぼぼ」といった郷土玩具は天然痘除けを願った赤色を用いている。日本での天然痘は 6世紀頃に大陸からもたらされたものであり,失明する確率が高かった。ルイス・フロイスもヨーロッパ人と比較して日本人の全盲者が多いことを述べているが,これは天然痘によるものとされる。

ちなみに,ジェンナーの死因は脳卒中である。右片麻痺になって発見され,翌日亡くなってしまった。天然痘には感染せず,である。(今回は画像ありません,ごめんなさい)

文献
1)Damaso CR. Revisiting Jenner’s mysteries, the role of the Beaugency lumph in the evolutionary path of ancient smallpox vaccines. Lancet Infect Dis 2018;18:e55-63.
2)加藤茂孝. 人類と感染症との戦い−「得体の知れないものへの怯え」から知れて安心」へ−第2回「天然痘の根絶−人類初の勝利」−ラムセス5世からアリ・マオ・マーランまで」(PDF). モダンメディア2009;55:7-18.
3)福士由紀 .中国における予防接種の歴史的展開:種痘政策を中心に. 海外社会保障研究2015;192:33-45.

(『関節外科2023年 Vol.42 No.12』掲載)



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