見出し画像

第18回 「やらねば 10日で死ぬ!?」顎関節脱臼とヒポクラテス法:オリジナルはヘロディコス

Herodicus(紀元前5世紀頃)

エジプトの記録媒体であるパピルスでは「医学パピルス」とよばれるものがある。さまざまなものがあり,婦人科疾患を中心に記載しているKahun gynecological papyrus,内科,精神疾患,歯科疾患を記述した Ebers papyrus,外科疾患を扱ったEdwin smith papyrusなどがある。Edwin smith papyrusは古代エジプト(紀元前17世紀)に書かれたものである。紀元後20世紀に翻訳されて出版されている。このパピルスは数百年の間,追記に追記された注釈が認められ,症例報告を含んでいる。具体的には頭部外傷から始まり,咽頭,脊椎と記載され,残念ながらそこで終了となっているらしい。整形外科疾患である脊椎の症例は6例含まれている。このなかで下顎骨脱臼の記載もある。「まず患者を診て,口が開き閉じない状態を確認し“あなたの顎は外れている。私は治すことができます”と伝え,彼(患者)のオトガイ下に手を置き後退させ顎を元の位置に戻す」,実のところ現代の治療と変わりはない。古代インド医学のパイオニア,Sushruta Samhita(スシュルタ・サンヒター)も下顎脱臼に触れており,「大声の会話や硬い食べ物を噛む,欠伸で悪化する」と記載している。

ところで,脱臼といえば肩関節脱臼の整復方法でヒポクラテス法ってあったじゃない,と思い出し,きっと彼も下顎脱臼について何か言ってるのではないかと思ったら,案の定あった。彼(と彼の弟子たち)が書いた『ヒポクラテス全集』(古代ギリシャの医学書)では「顎の整復は寝かせて行う。整復ができないと10日で死亡する」と書いてあるそう。この記述は後に削除されたわけだが,ずいぶん過激な予後を記したものである。ヒポクラテスの時代より前から,知的活動を行うギリシャ人はエジプトへ留学することが多かったそうで,ヒポクラテスはどうやらエジプトで下顎の脱臼の整復を学んだそうだ。ちなみに肩関節脱臼を整復するヒポクラテス法は彼のオリジナルではなく,Herodicus(ヘロディコス)が彼に教えたらしい。ヘロディコスはトラキアの医師でスポーツ医学の基礎となる論理を作った人物である。そして,体操の達人だそうだ(ちょっと運動しているところを見てみたい笑)。当たり前だが,ヒポクラテスが医学の父とよばれるようになるまで,ヘロディコスのように彼を教育した数多くの師がいたわけである。肩関節脱臼はスポーツや転倒で発生するが,たいていは前方脱臼である。MRI画像では上腕骨頭背側の陥没骨折と,関節唇損傷が認められ,Hill-Sachs lesionとBankart lesionをセットで覚える外傷である。あぁ,ここにも人名を冠した所見があったか…。関節可動域が広いことやよく使う関節であるためか,肩の脱臼も顎の脱臼も習慣性脱臼になりやすいのが嫌なところである。

文献
1)杉崎正志. 顎関節脱臼の徒手整復に関する歴史的回顧. 日顎誌2017;29:146-55.

(『関節外科2024年 Vol.43 No.1』掲載)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?