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第12回 橈骨頭の脱臼の整復への200年チャレンジ:Monteggia fracture-dislocations

Giovanni Battista Monteggia(1762〜1815)

今回はMonteggia脱臼骨折で有名なGiovanni Battista Monteggia(ジョバンニ バッティスタ モンテッジャ)である。この脱臼骨折は私にとって思い出深い。というのも,放射線科医として骨軟部領域を学び始めた頃に橈骨頭の脱臼の症例を経験したが,よくみると尺骨骨幹部を中心に弓なりに曲がっている。これはPlastic bowing? そうなるとMonteggia骨折? と考えたことがあった。

Monteggiaは北イタリアのラヴェーノに生まれ,ミラノのマジョーレで医学を学んでいる。彼のスタンスは徹底した解剖に基づいた実践的な医療であり,整形外科領域だけではなく,眼科や皮膚科領域,性感染症の治療などにも精力的に治療を行っている。薬学にも造詣が深く,効果があったかは不明であるが,性感染症(おそらく淋病や梅毒)に対してサルサパリラの処方を行っている。サルサパリラは江戸時代の日本でも薬として取り扱われており,尾形光琳の薬箱にも納められていた。ちなみに解熱薬や解毒作用,強壮などの効果があるとされる。ピンと来ない方はドクターペッパーという飲み物を思い出すとよい。あの独特の匂いのハーブ(漢方薬)である。

彼の執筆した教科書の数々は今でいう症例集の形体をとっているのが特徴的である。また,臨床的な見地からポリオを正確に説明した功績もある。

彼が執筆した学生向けの教科書『The Institutions』はその当時の教科書にしては珍しく,多くの文献を引用しているとされる。解剖や外科手術の腕は高く評価されているMonteggiaではあるが,解剖を契機に梅毒に感染したといわれている。死因は丹毒とも,皮膚感染症ともいわれている。

Monteggiaは尺骨骨幹部の骨折と橈骨頭の脱臼の症例を1814年に出版した『Istituzioni Chirurgiche』に記載している。彼はこの本の中で「…処置が終わり,腕のむくみは解消したが,橈骨の脱臼はなかなか治らない。整復するために再度の圧迫と新しいタイプの包帯を試してみたが,この脱臼はなかなか元の位置に戻りたくないようだ」と記している。彼は尺骨骨折が橈骨頭脱臼の原因になっているのが明白であり,同時に対処する必要があるということを示唆しているのである。この骨折に彼の名前が冠されるようになったのは,1909年にPerrinが名付けたからである¹⁾。Monteggia脱臼骨折の治療は医療の進化とともに3つの年代があり,初期(1814〜1939年)は脱臼骨折のメカニズムが特定され,中期(1940〜1990年)は尺骨骨幹骨折の観血的整復や内固定が可能になり,現在(1991年以降)では迅速な診断と解剖的な整復を可能にするプレート固定の改善により良好な治療を行えるようになっている。実に200年,長きにわたる治療へのチャレンジである。Monteggia脱臼骨折の診断・治療には多くの医師がかかわり,分類も多数あるが,ウルグアイの医師Jose Luis Bado(1903〜1977年)のBado分類はその代表ともいえる。

文献
1)Rehim SA, Maynard MA, Sebastin SJ, et al. Monteggia fracture dislocations:a historical review. J Hand Surg Am 2014;39:1384-94.

(『関節外科2023年 Vol.42 No.7』掲載)



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