第7回 痛風のない日本:Luis Froisが見た世界
Luis Frois(1532〜1597)
Luis Frois(ルイス・フロイス)はポルトガル出身の宣教師である。聞き慣れないと思うが,ザビエル来日14年後に日本でキリスト教の布教活動を行った人物である。フロイスは布教活動の傍らで武将の動向や庶民生活の実情,災害や事件といった複数の事柄をきめ細やかに観察したといわれる。多数の著書があるが,特に有名な「日本史(Historia de Japam)」は1583年から執筆が開始され,1595年までフロイスが政治的な事情で住まいを転々としながらも書き続けた日本の戦国時代末期の歴史書である。
フロイス達宣教師は日本で医師としての活動も行っており,ハンセン病などの治療も行っている¹⁾。おそらくそのようなときに,日本人に痛風患者がいないことに気付いたのだろう。フロイスのいたヨーロッパでは数多くの人々が痛風に悩まされている。痛風の歴史を紐解くと,エジプトのミイラにですら尿酸塩が見つかるくらいである(パピルスにも痛風の記録がある)。われら医学の父ヒポクラテスは痛風に対し“宦官はならず,閉経前の女性はならず,子供はならず”と性ホルモンの違いや性差があることを述べており,治療薬にすでにコルヒチンを用いていた(勝手な想像だが,ヒポクラテスが日本という国を知っていたら,そのとき“日本人はならず”と言ってくれたのだろうか?)。
当時の日本人に痛風が少なかった理由で「シーフードメインの食事で肉食習慣がないため」といわれる。『肉食の社会史』²⁾や『歴史の中のコメと肉』³⁾などを参考にすると日本人が肉食を避ける理由は仏教の不殺生戒や身分偏差(高貴な人ほど肉食しない)・地域偏差,米作農業と権力の結び付きなどによる。また,時代によって肉食をしている時期もあれば,忌避される時期もあり,日本にとって肉食とは揺らぎのある食べ物であったようだ。これが結果として痛風患者の発生を抑えていたともいえる。ちなみに最も高貴な肉? はキジだそうだ。日本人のなかで揺らいでいた肉食が本格化するのは戦後からであり,そこからは痛風患者は増加の一途を辿っている。日本にとって痛風の歴史は肉食の歴史である。
(『関節外科2023年 Vol.42 No.2』掲載)
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