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話したくなる 整形外科 人物・用語ものがたり

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歴史上の偉人を悩ませた整形外科疾患,もしくは発見者の名前を冠した症例について,筆者独自の視点を盛り込んだエッセイです。
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記事一覧

第1回 “我包帯す,神,癒し賜う” Ambroise Paré:足の研究のはじまり

Ambroise Paré(1510~1590 年) 突然であるが私は放射線科医である。一応なんでも画像診断…

第2回 Jones fracture:ダンスでこけたゆえに研究された骨折

Sir Robert Jones(1858〜1933年) 足の中足骨の骨折はレントゲンがない時代から「おそらく折…

第3回 Dupuytren拘縮:あんなにいっぱいあったのに,今はこれだけ?

Baron Guillaume Dupuytren(1777〜1835年) Baron Guillaume Dupuytren(1777〜1835年)は19…

第4回 外科医のなかの外科医,偉大なる巨人 Colles骨折:橈骨遠位端骨折の歴史

Abraham Colles(1773〜1843) はるか昔の学生時代,手関節の骨折は名前が付いていて,「Coll…

第5回 内外合一 活物窮理:日本の近代外科学を作り上げた華岡青洲の麻酔薬と整骨術

華岡青洲(1760〜1835年) ケガや病気で苦しいとき,痛みがなければ頑張れそう,そう感じるの…

第6回 彼はいったい,何処の惑星からやってきたのだろう:不自由を超えたサッカー選…

Garrincha(1933~1983) 本日(11月24日)の日本は朝っぱらからアツかった! というのも,…

第7回 痛風のない日本:Luis Froisが見た世界

Luis Frois(1532〜1597) Luis Frois(ルイス・フロイス)はポルトガル出身の宣教師である。聞き慣れないと思うが,ザビエル来日14年後に日本でキリスト教の布教活動を行った人物である。フロイスは布教活動の傍らで武将の動向や庶民生活の実情,災害や事件といった複数の事柄をきめ細やかに観察したといわれる。多数の著書があるが,特に有名な「日本史(Historia de Japam)」は1583年から執筆が開始され,1595年までフロイスが政治的な事情で住まいを

第8回 百の頂に百の喜びあり:深田久弥と結核と百名山

深田久弥(1903〜1971) 「深田久弥(ふかだきゅうや)」という名前で「お,百名山を選定した…

第9回 欠けない月はわが瞳のせい?:文字文化の始まりと糖尿病と藤原道長

藤原道長(966〜1028) 日本の歴史のなかで必ず勉強する平安時代の有名人,藤原道長。彼は現…

第10回 人生最大の報酬とは,知的活動そのものである:キュリー夫人のラジウム発見と…

マリ・キュリー(1867〜1934) 医療になくてはならないX線は,1895年にレントゲンによって発…

第11回 一番古い? 登山家は?:アイスマンは何者か

アイスマン(BC 3000年) あるとき,編集者さんから「今度のエッセイ,登山家やクライマーの…

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第12回 橈骨頭の脱臼の整復への200年チャレンジ:Monteggia fracture-dislocations

Giovanni Battista Monteggia(1762〜1815) 今回はMonteggia脱臼骨折で有名なGiovanni Batti…

第13回 ペリーの黒船来航と,いとあやしき病

Matthew Calbraith Perry(1794〜1858) Matthew Calbraith Perry(以下,ペリー)の黒船来航…

第14回 偉大なる改革者,Codmanの考える医療:Codman triangle

Ernest Amory Codman(1869〜1940) 調べものをしているときに「Codman」の名前が目に留まった。何の気なしにCodmanを検索してみると,ボストン生まれ,ハーバード・メディカル・スクール卒業,マサチューセッツ総合病院(Massachusetts General Hospital;MGH)勤務の医師とのこと。若かりし頃,私もMGHに留学していたので,彼に時代を超えた親近感をもってしまった。私がいた当時,MGHのMusculoskeletal(MSK