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第9回 欠けない月はわが瞳のせい?:文字文化の始まりと糖尿病と藤原道長

藤原道長(966〜1028)

日本の歴史のなかで必ず勉強する平安時代の有名人,藤原道長。彼は現存する資料から最古の糖尿病患者であると考えられている。

平安時代(794〜1185年)初めはちょうど日本語のひらがな,カタカナが作られた頃である。漢字から非常に読み書きしやすい文字になり,なおかつこれより100年ほど前に紙の作り方が日本に伝えられたため,紙に文字を書いて表現するという行為が平安貴族のなかでも特に女性に広がったとされる。清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』などはそのよい例である。もちろん,貴族男性も漢字だけではなく日本独特のひらがな,カタカナも使用したと思われる。ちなみに,藤原道長の書いた『御堂関白記』は日本最古の直筆日記であり,国宝であり世界記憶遺産である。

このように,書く文化が盛んになったからこそ,道長の体調を記している文書もある。藤原実資(ふじわらのさねすけ)の書いた『小右記(おうき/しょうゆうき)』によると,道長は「のどが渇いて水を大量に飲む」,「身体痩せて体力が落ちているが食欲は変わらない」,「目がかすんでよく見えない」,「顔を近づけても誰だかわからない」,「背中にできものが出来た」状態であったらしい。この症状,まさしく糖尿病である。このような症状は道長の詠んだ「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌の少し後から起こったとのことである。この歌を作ったときは,満月ではなく十六夜であった。糖尿病性網膜症が潜行性に進行していて,道長の目には欠けていた月が霞んでいて満月に見えたのか? などと邪推したくなる。道長の「背中のできもの」は,悪性腫瘍か感染なのか,きっと糖尿病による免疫低下で合併した何かだろう。道長の運動の記録などはなく,きっと運動は好きじゃなかった(もしくは糖尿病足や末梢神経障害などがあったか)かもしれない。

『小右記』は平安時代の食生活なども書かれており,「大食いの人を呼んできて米6升(1升は10合)食べさせた」「ハチが巣を作ったので,蜂蜜をとったら甘かった(当時は砂糖がない)」,「暑くて氷水を飲んだ(当時は大変貴重)」などが書かれている。『源氏物語』でも,フナ,貝,干魚,タケノコなどの食材が出てくるが,平安時代の書物には全体的に食べ物の記載が少ないらしい。きっと,あまりおいしくないからではないかと思う。

糖尿病による骨関節疾患は多岐にわたるが,糖尿病患者によくみられる疾患として肩関節周囲炎が挙げられる。血糖値のコントロールが悪いと起こりやすく,糖尿病の治療において食事療法でコントロールされている患者よりインスリンを使用している患者の肩関節周囲炎の頻度が高く症状も重い。また,一度発症すると回復までの時間が早いのは食事療法群の患者である¹⁾。肩関節周囲炎のMRIは腋窩囊の肥厚や信号上昇,腱板周囲の信号上昇などで判断できるが,多くは臨床的診断になる。その他には,末梢血管障害が発生するため,骨梗塞や骨壊死,足部などの潰瘍,Charcot関節などが挙げられる。

文献
1)熊谷 純,川又朋磨,佐野博高,ほか:糖尿病患者の肩の痛み. 肩関節1997;20:557-60.

(『関節外科2023年 Vol.42 No.4』掲載)



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