ゆきかず

関西在住/40代後半男/身体障害者3級(下肢障害)/母子家庭育ち/元新聞奨学生/元多重債務者/ 自分の今までの経験や、地元関西の観光やグルメレポートなどを書いていこうと思います。

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関西在住/40代後半男/身体障害者3級(下肢障害)/母子家庭育ち/元新聞奨学生/元多重債務者/ 自分の今までの経験や、地元関西の観光やグルメレポートなどを書いていこうと思います。

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    • 新聞奨学生体験記

      学生の頃、新聞奨学生として過ごした経験や所感などを綴っていこうと思います。

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    【阪神淡路大震災】新聞奨学生の頃の忘れられない早朝の衝撃

    私は専門学校時代、新聞奨学生をしていました。学校に通いながら、毎日、朝夕刊を配達して、給付型奨学金を貰って学業と仕事を両立していました。 1995年(平成7年)、朝刊配達ももうすぐ終わる頃、50ccのバイクのカブに乗って下り坂を通行していると、突然、ハンドルがグラグラと揺れ始めました。 以前、走行中に前輪が突然パンクをしたことがあり、同じような感覚でした。 バイクを降りて前輪を見て触ってみると空気は充分に入っていて、パンクをしていませんでした。念の為後輪も確認してみると、

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      • 危機感満載の、雪の日の新聞配達

        今年の冬は特別寒く感じます。関東では雪の積もっている所が多く、車などの交通事故のニュースをよく見ます。 雪の積もっている所の方々は、慎重に運転していただきたいと思います。 新聞奨学生をしていた頃、雪が降った日は何度かありました。販売店は関西のあまり雪の積もらない所でしたが、年に数日積もった日がありました。 雪は新聞屋にとって大敵でした。とにかく配達がし辛いです。私の所属していた店の多くの従業員は、50ccのカブで配達していました。 雪の日に走るとスリップして転倒する可能性

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        • かなり過酷な、元日の朝刊新聞配達

          元日の朝刊はメチャクチャ分厚いので、配達はとにかく大変でした。普段の配達時間と比較すると、約1.5倍はかかっていたと思います。 いつもどおりの時間に仕事を始めていると終わるのが遅くなってしまうので、時間を早めていました。 普段の起床時間は3時でした。この日だけは、寝ずに取り掛かっていました。 朝刊の到着時間がだいたい1時半頃なので、それまでテレビなどを見ながら待機していました。「ゆく年くる年」などを見ながら新年を迎え、「世間は賑やかで楽しそうだな」と、羨望の眼差しで初詣の

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          • 新聞屋の年末は大忙し

            新聞販売店は毎年12月29日から1月4日まで、夕刊が休刊となります。配達がないので余裕があると思いきや、年末は結構やるべきことが多いです。 新聞奨学生の頃の年末は忙しかったです。 まず、29日は販売店の大掃除でした。普段あまり掃除をしない箇所を掃除しました。窓拭きやフロアの隅などを掃除していました。 朝刊配達終了後、朝食を食べてから、9時頃から掃除します。この日は社員総出で掃除をしていました。 掃除はだいたい午前中に終了しました。そして昼食を食べ、少し休憩をとります。毎年

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          • 新聞奨学生体験記
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            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 42「新聞販売店とのその後の関わり」

            専門学校を卒業し新聞奨学生が修了してから、時々支店に遊びに行っていました。仲の良かった先輩や後輩がいたので、よく会いに行っていました。職場へは原付スクーターで通勤していて、支店は私の通勤路にあったので、気軽に立ち寄っていました。 本店へはほとんど立ち寄らなくなりました。オーナーや店長と会う気持ちが全くなかったからです。本店の奨学生と会う時は、アパートに直接行っていました。 仕事は好きではありませんでしたが、奨学生は気の合う人が多かったので、しばらくは友好関係を保っていまし

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            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 41「新聞奨学生生活完結!待望の修了式」

            最後の朝刊配達が終わり、実家へ帰りました。途中真っ直ぐ帰らずに、配達区域を少し通って帰りました。道中、「3年間よく頑張ったな」と、なんとなく感慨深い気持ちになりました。 家に到着後、修了式出席のため身支度をして家を出ました。 会場に行く前に本店に寄りました。集金で余った残りの証券をパートの事務員に渡しました。 何人か従業員が出勤していて「よく頑張ったね」「ご苦労さま」と、声を掛けられました。お世話になった方、色々と仕事を押し付けてくれた方など色んな人がいましたが、「立つ鳥跡

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            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 40「最後の新聞配達&最後の晩餐」

            引き継ぎと集金が終わり、奨学生修了式が迫ってきました。「あと○日で脱出だ!」と、カウントダウンしながら毎日配達をしていました。修了式は3月下旬の月曜日に行われました。この日の朝刊を最後に退店となりました。 修了式の前の週の土曜日が夕刊配達最後となりました。夕刊では様々な事がありました。配達途中にノーヘルで警察に反則切符を切られたり、配達前にバイクのパンクが見つかり、配達時間が遅くなってしまい店長に怒られたりなど、色んな思い出がありました。 配達を終えると、少し肩の荷が下りた

            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 39「最後の集金&引き継ぎ」

            新聞奨学会の修了式が迫り、最後の集金をすることになりました。私が卒業することを多くの読者の方は知っていました。なぜ知っていたかというと、店では独自にチラシを発行していました。ミニ新聞のようなものです。そのチラシで私と一緒に卒業する新聞奨学生3名とそれぞれの進路先を紹介していました。 そのため、色んな読者から「ご苦労さまでした」「よく頑張ったね」など励ましの言葉を沢山いただきました。お菓子をいただいたり、中には祝い金をいただきました。 多くの方に祝っていただき、凄く有り難かっ

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            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 38「困難だらけ!雪の日の配達」

            新聞配達をしていて、一番困難に感じたのは雪の日の配達でした。雪が積もると、バイクの運転がすごく大変です。滑ってしまうので、慎重に運転しないといけません。 雪の積もった日はいつも、バイクの後輪タイヤにチェーンを巻いていました。このチェーンを巻くのは少々手間がかかりました。 まず、タイヤの空気を抜いてチェーンを巻きつけます。そのままだとチェーンが短いので巻くことが出来ません。チェーンを巻き終わると、また空気を入れます。そして新聞を積んで、出発します。 チェーンを巻くと滑りにく

            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 37「配達を楽にするためにやったこと」

            私の配達区域は新興住宅地で、次から次へと家が建っていました。そのため、新聞社の読者獲得は激戦でした。店長はいつも営業に出ていたので、配達中にしょっちゅう遭遇していました。 毎月沢山の新規顧客が上がってきます。時には20件くらい増えた時もあり、覚えるのに必死でした。そして、配達時間も増えて結構な負担となりました。 区域を担当し始めた頃、朝刊配達件数は合計300くらいでした。それが毎月増えていき、最大で380件くらいになりました。60件も増えると、配達時間は約20分延びました

            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 36「新聞奨学生で得したこと」

            新聞奨学生を3年間やって来て、大変な事は沢山ありました。思い出すとキリがありませんが、続けていくことは生半可なものではありませんでした。 数え切れないほど大変な目にあってきましたが、少しだけ得したことはありました。いくつかご紹介していきます。 1.個室が無料で提供される。六畳一間の寮もしくは1Kくらいの広さのアパートに無料で入居出来ます。寮の場合だと、共同ですが風呂が使えます。アパートだと風呂のない所もあり、トイレが共用だったりします。経済的負担だけを考えると、無料で住居

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            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 35「隙を見せてしまい、携帯電話がバレる」

            二十歳の頃、携帯電話を購入しました。きっかけとなったのは、店の改築でしばらくアパートに移るため、その間は連絡手段がなくなってしまうので契約しました。 2ヶ月に改築が終わり、店に戻りました。それまでの間、すっかり携帯電話のある生活に慣れたので、解約するつもりはありませんでした。当時はまだ普及率は低く、契約台数がやっと1000万台を突破した所でした。 携帯電話を持ったことについては店には言っていませんでした。もし言ってしまうと、頻繁に連絡があったり、都合の良いように使われそう

            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 34「学校から呼び出し。卒業のピンチ!」

            就職内定は決まりましたが、実は学校へは休みがちになっていました。体調を崩して、配達は毎日していたものの学校へ行く体力がなくしばらく休んでいました。 体調が元に戻ったもののサボりぐせがついてしまい、しばらく学校に行かなくなりました。 卒業まであと2ヶ月に迫った頃、学校から電話がありました。「このままでは卒業できません」と店に連絡がありました。そして、今後の事について話をしたいので、明日は学校に来るようにと言われました。 私は留年を覚悟しました。あれだけサボりまくっていたの

            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 33「コネで就職先の紹介」

            卒業まであと半年に迫った頃、社長から「何処か就職先は決まったのか?」と聞かれました。「まだです」と言うと、「まだ決まっていないのか、のんきな奴だな」と言われました。 この頃は就職氷河期と言われていた頃で、新卒の求人倍率がかなり低かったです。私の学校でも卒業式の頃で内定者は30人中10人もいなかったと思います。 同じ店の大学生も就職活動に必死で、内定を取るのは非常に難しかったです。 社長から「何処か紹介してやろうか」と言われました。就職活動が困難だったので「ラッキー」と思い

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            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 32「携帯電話を購入し、通信手段を確立する」

            新聞奨学生に限ったことではないと思いますが、25年くらい前は一人暮らしの学生は通信手段が乏しかったので、連絡を取るのが大変でした。 私の通信手段は主に支店の電話でした。家族、親戚、友人に支店の電話番号を伝えていたので、用事があれば掛けてもらっていました。 こちらから掛ける時は自由に電話を使う事が出来ました。使いすぎはいけませんが、節度を守っていれば店からは何も言われませんでした。 私の同期は入店後すぐの時、関東に住んでいる彼女に毎日電話を掛けていたので、後日注意をされていま

            山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 31「お世辞にも綺麗といえなかった店の中」

            私の所属していた支店は、凄く散らかっていて、お世辞にも綺麗とはいえませんでした。生物などのゴミはありませんでしたが、何年も業務で使わなくなった不用品が沢山ありました。 二階にはリビングと個室が4部屋ありました。リビングには誰が買ったか分からないガラクタや漫画や雑誌が置いてあり、誰も手を付けていなかったので、ホコリが被っていました。 この時は家から通っていたので、「ここには住みたくないなぁ」と思っていました。 ある日、新聞社の本社から役員が視察に来ました。店内の様子を見て、