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山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 42「新聞販売店とのその後の関わり」

専門学校を卒業し新聞奨学生が修了してから、時々支店に遊びに行っていました。仲の良かった先輩や後輩がいたので、よく会いに行っていました。職場へは原付スクーターで通勤していて、支店は私の通勤路にあったので、気軽に立ち寄っていました。

本店へはほとんど立ち寄らなくなりました。オーナーや店長と会う気持ちが全くなかったからです。本店の奨学生と会う時は、アパートに直接行っていました。

仕事は好きではありませんでしたが、奨学生は気の合う人が多かったので、しばらくは友好関係を保っていました。飲みに行ったりカラオケに行ったりして、以前と同じように遊んでいました。

卒業した年に、販売店の新聞奨学生の同窓会がありました。一泊二日でホテルに宿泊しました。この日は8月の新聞休刊日に行われたので、現役奨学生は宿泊することができ、丁度お盆の頃だったのでOBの方々は休みの人が多かったようで、沢山の人が集まりました。

OBの方の話を聞いていると、その時期によって店の雰囲気や、しきたりみたいなものが結構違っていたんだと思いました。

そういえば、7月頃に店長から電話があり、お盆の時期に奨学生が帰省するので、代わりに配達に入れないかと言われました。私は時間はあったものの、店長とは一切関わり合いたくないので、「予定があります」と嘘をついて断りました。

それからしばらく支店へは時々遊びに行っていましたが、一緒に仕事をした先輩や後輩がいなくなってからは一切立ち寄らなくなりました。

それから数年後、店はフランチャイズのような個人経営から本社直営店舗になりました。これは県内の複数の新聞販売店で運営しているホームページで知りました。

それを知ってから、一緒に働いていた専業員に連絡して事情を聞いてみました。
本社直営店になったことによりオーナーは退くことになりました。店長は本来なら二代目オーナーになる予定でしたが、サラリーマン店長となったそうです。
更に数年後、オーナーが病気で亡くなり、後ろ盾の無くなった店長は他の人と交代し、自身は別の店舗に異動し、一従業員として勤務しているそうです。
店長は本当に傲慢で強引だったので、人望はかなり薄かったです。「いずれ周りから人が離れていくか、追われてしまうかどちらかになるだろうな」と思っていたら、予想通りになりました。

専門学校を卒業してから何度か転職を経験しました。その度に色んな職種や業種を探しましたが、新聞販売店には一切関心を持ちませんでした。
もう、新聞配達にはコリゴリでした。

とりあえず私の新聞奨学生体験記はここまでです。御覧いただきましてありがとうございました。
また何か思い出したことがあれば、気まぐれで更新していこうと思います。

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