見出し画像

山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 39「最後の集金&引き継ぎ」

新聞奨学会の修了式が迫り、最後の集金をすることになりました。私が卒業することを多くの読者の方は知っていました。なぜ知っていたかというと、店では独自にチラシを発行していました。ミニ新聞のようなものです。そのチラシで私と一緒に卒業する新聞奨学生3名とそれぞれの進路先を紹介していました。

そのため、色んな読者から「ご苦労さまでした」「よく頑張ったね」など励ましの言葉を沢山いただきました。お菓子をいただいたり、中には祝い金をいただきました。
多くの方に祝っていただき、凄く有り難かったです。

集金は2年間していました。本当はやるかやらないかは任意だったのですが、店の方針としては強制的でした。時間がかなり取られましたが、月平均で25,000円ほどの手当が付いていたので、大きな収入でした。毎月200件以上集金していました。

集金をするにあたっては大きなトラブルはありませんでした。
時間に気を付けて20時までに済ますようにして、なかなか会えない読者でも最低でも21時には切り上げるようにしていました。

少々困った読者は何件かありました。インターホンを押してから10分近く待たされた事や、一万円札を出されてお釣りを千円札ばかりにして欲しいなど、少々足を引っ張ってくれる人はいました。

集金をするに当たり、自分で用意しないといけない事もありました。
お釣りのお金を用意しなければなりませんでした。普段は店で両替してもらえます。千円札と小銭(100円玉と50円玉)の両替が出来ました。
両替しても一万円札を出される事が続くと、千円札が減ってしまいます。
そんな時は、集金途中に缶コーヒーや缶ジュースなど少額の買い物の時にわざと一万円札で買い物したりしていました。

1ヶ月間に集金に携わる日は10日くらいでした。結構時間を取られましたが、苦になる仕事ではありませんでした。

私の配達区域を引き継ぐのは、私の一期先輩になりました。先輩は大学生で本来なら卒業するはずでしたが、留年が決定していたので店に残留となりました。
配達順路を説明するのに、2回ほど一緒に回りました。私より新聞配達の経験があるので、特に細かい説明は必要ありませんでした。

そして、就職先の入社式が決まり、3月初旬となりました。その頃はまだ専門学校の卒業式を迎えておらず授業がある期間なので、まだ新聞奨学生の期間だということを、就職先の会社に連絡し伝えました。すると、会社から店に電話があり、初出勤は奨学会修了式の翌日となりました。

しかし、入社式と翌日の健康診断とオリエンテーションには出て欲しいと言われたので、2日とも午前中だけ出勤しました。ちなみに学校は公欠扱いとなっていました。

これで退店日も正式に決定しました。業務などの引き継ぎと整理が終わりました。
そして、部屋の荷物などを少しずつ分けて実家に運びました。

後は、奨学会修了式を待つだけとなりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?