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僕とワールドカップ・1990イタリア大会❶〜創造力の戦い〜

どうもどうも、吉良です。

第22回FIFAワールドカップカタール大会が11月20日に開幕して、あっという間にグループリーグも終盤ですね。

12月18日の決勝戦まで国の威信をかけた戦いが各地で開催されます。僕にとっては4年に1度の寝不足の1ヶ月が始まっていますが、良いことだらけの楽しい寝不足に酔いしれてます。

というのも、日本代表がドイツ代表に続きスペイン代表にも勝ち、グループリーグをトップ通過して決勝トーナメントに進出しましたね。まさに歴史的勝利です。

僕が1990年からワールドカップに関わってから32年、日本代表が初めてワールドカップに出場してから24年、まだこれからも試合は続きますが関わりはじめたイタリア大会の優勝チームと2010年の南アフリカ大会の優勝チームに勝利したことは夢のようで、“嬉しい"とか"感動した"というありふれた感情表現では表わせないほどの言いようがない興奮を感じました。

マンガデザイナーズラボも、中央大学学友会サッカー部の卒業生で現在ベルギーリーグのシント=トロイデンVV所属の日本代表ゴールキーパーのシュミット=ダニエル選手をサポートしています。

代表決定の際はマネージメント会社とシント=トロイデンと共にweb記者会見をプロデュースしました。noteにも記述してますのでご覧ください、シュミット=ダニエル選手から届いた写真もあります。

また弊社が運営するWebサイト、「Manga de Japan」においても日本代表の初戦、ドイツ戦に向けてシュミット=ダニエル選手のカウントダウンマンガデザイン似顔絵企画をTwitterで展開しています。

日本代表の決勝トーナメント初戦の対クロアチア戦へのカウントダウンは続いていますが、W杯カタール大会での決勝トーナメントが決まった歴史的勝利の日が来たまさに12月2日に、子供の頃からの夢であったW杯との関わりをしっかりnoteに残しておこうと決めました。

「僕とワールドカップ」と題して僕が仕事として関わった90年イタリア大会、94年アメリカ大会、98年フランス大会、2002年日本・韓国大会、奇しくもこの4大会の決勝戦の前夜祭として開催されたルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3名の3大テノール、それに94年ドーハの悲劇でアメリカ大会の参加を阻まれた翌95年、日本代表がサッカーの聖地イギリス・ウェンブレースタジアムなどでイングランド代表やブラジル代表と試合をしたインターナショナルチャレンジ・アンブロカップを加えた全6回シリーズを書いていく予定です。

まず、僕の複数の夢が実現した90年イタリア大会について記憶を甦えらせながら記述してゆきます。

「プロサッカー選手になってワールドカップで活躍する」

サッカーをやっている子どもなら誰でも見る夢を僕も持っていました。しかしほどなくその夢は「サッカーに関わる仕事をしたい」に変化してゆきました。そのことは「夢のかたち〜夢をかなえるための発想法〜」に詳しく書いています。

この考えと大学時代に夢見た「村上龍さんと仕事をしたい」という願望、これについても「片想いほど憧れは強い」の中の村上龍さんのパートで書いています。

この2つの未来への想いが志望動機になり、広告会社の電通に入社することができ、企画プロデューサーへの道が拓きました。「想っていれば必ず道が拓くわけではないが、少なくとも想いが無ければ道は拓かれない」と学生たちに伝えていることが実現できたのが、1990年のワールドカップイタリア大会でした。

電通入社から約10年、長かったといえば長かったけど、あっという間と言う感じの方が強いですね。その10年片時もワールドカップにかかわることを諦めたことはなく、常にチャンスを狙っていました。 

1990年6月8日から7月8日まで、イタリア12都市で開催された第14回FIFAワールドカップイタリア大会。当時の出場国は24カ国、開催国イタリアと前回優勝国アルゼンチンは予選免除でした。

前回優勝国の出場枠は2002年日韓ワールドカップのフランス代表が最後で、それ以降は開催国のみになっています。日本代表はアジア1次予選で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に次いで2位になり、最終予選にも進めませんでした。アジア枠は2カ国で、出場を勝ち取ったのは韓国とアラブ首長国連邦でした。

日本代表が出場しないのに何故?と思う方もいるでしょうが、僕はサッカーというスポーツが大好きで、その世界一を決めるワールドカップの素晴らしさの啓蒙こそサポーターを含めた日本サッカーの底上げになると確信して企画を創っていました。

そして、その中心は村上龍さんしかいないと考えていました。BRUTUSで連載されていた「テニスボーイの憂鬱」。この企画策定のさなかにオンエアーされていたTV番組「Ryu's Bar」では文化人、音楽家、スポーツ選手とまさに異文化交流を絵に描いたような人脈の広さを見ました。

村上龍さんの「イタリアだし、ワインや料理やなによりもファッションが最高だからやるよ」と承諾していただいたときは天にも昇る気持ちであると共に、企画の成功、つまり日本サッカーの啓蒙を確信しました。

次回、イタリアでのワールドカップ観戦記を紹介していきます。

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