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片想いほど憧れは強い~追悼・岡康道さん~【吉良式発想法&視点】

みなさんには「憧れの人」はいますか?

憧れの人は、実体のある目標となり、自分を成長させてくれる存在にもなりえますし、日々の生活の活力として大きな影響を受けている方も多いのではないでしょうか。

その憧れの人はすぐそばにいる人ですか?毎日会う人だという方もいれば、一度もあったことのない芸能人だという方もいるかもしれません。いつもそばにいる人だけが憧れの人とは限らないと思います。

「Oka Yasumichi 1956-2020」の1階に展示してあった岡康道さんの言葉に、このようなものがありました。

広告は片思い。
だから2倍愛する。

僕は、憧れとは「片想い」みたいなものだと思っています。
相手はその想いに気づいていない場合のほうが、大きな力になるような感覚が、憧れと片想いで似ていると感じるからです。

僕の憧れの人は、2人。
村上龍さん岡康道さんです。

僕の憧れの2人も、僕に影響を与えているとは思っていないと思います。たまに会って、でも1年中一方的に影響を受けている人。僕の片想いの人とも言えます。

村上龍さんに影響を受けている方は僕以外にもたくさんいると思いますが、僕は大学の頃から村上さんに憧れていました。今でも村上さんは僕に、この時期にはこのような生き方をすると良い、というような人生の示唆を与え続けてくれています。

村上さんとは、一緒にイタリアのワールドカップサッカーやリチャードブランソンさんへのインタビュー、キューバミュージックの普及活動等の仕事をしました。村上さんにとってはたくさんの仕事のひとつだったと思いますが、僕にとっては仕事の延長線上で、憧れの人との時間は人生の中でもかけがいのない大きな経験でした。

村上さんは自著「1日2400時間吉良式発想法」の冒頭で恐れ多くも僕の紹介をしてくださいました。是非、村上龍さんの文章としてお読みください。

もう一人の岡康道さんは、電通入社時から要所要所で大変お世話になった先輩です。先日、TUGBOATの岡康道さんの追悼展「Oka Yasumichi 1956-2020」へ行ってきました。5日間の開催のうち3日間、岡さんに会いに行ってしまいました。

2020 年 7 月、63歳の若さで亡くなったクリエイティブディレクター岡康道(TUGBOAT代表)さんの軌跡を、CMプランナーとしてのデビューから逝去までの仕事の数々、岡さんが残してきた言葉、ポートレイト等とともに辿るものでした。

僕は岡さんからクリエイティブの影響を受けていますが、岡さんは僕とクリエイティブの仕事をしたとは思っていないと思います。つまり完全に僕の憧れの人、片想いの人なのです。僕としては岡さんがいなければ自分の生き方はまた別のものになっていたと思いますし、きっと僕は起業することなく、ずっと電通にいたと思います。

起業する際には岡さんにだけ相談をして、ネガティブチェックをたくさんしていただきました。特に印象に残っているのは、「電通をやめたら何%の人が自分についてくると思うか」という問いでした。

つまり、僕と仕事をしている人の中には、電通の名前についてきている人と、僕自身についてきている人がいるということです。その時期の僕は電通での仕事はある程度、確立していましたが、電通をやめたら電通の名前についてきている人との仕事がなくなることを気づかせてくれました。

僕はこの問いに「30%以下」と答え、岡さんもこれに合格点をくれました。
これまでの僕の実績や仕事を考えると3割はついてきてくれるかもしれないけれど、電通と仕事をしている人が大半で、7割は電通という所属を失った瞬間に関わりを絶つだろうということでした。

つまり「残念だけど、世の中の大多数は企業名という看板で仕事をしていて、仕事相手もまた看板と仕事していて君とじゃない」ということでした。

また、「どういう会社にしようと思っているか」を聞かれた際に、一緒に仕事をするつもりの人や展望について話すと「ひとりで起業しろ」と言われたことも衝撃でした。

僕にしか稼げない、他の人と一緒にやったら売り上げが半分になってしまうと告げられ、最終的に僕はひとりで起業をしました。大変でしたが、今では本当に言われた通り、ひとりで起業して良かったと思っています(もちろん当初一緒にやろうとしていた方にはきちんと話をして理解していただきました)。

他にも、「会社の場所は人を表す」と。おしゃれで明るいイメージ溢れる南青山、表参道で起業したい僕の気持ちを尊重し、実績がなくてオフィスが借りられない僕のために他の先輩とのシェアオフィスの話をその場で決めてくれました。

岡さんにこれだけたくさんのことをしていただき、自分のその先の人生が決まったと言っても過言ではありません。「お前はやれる」と心強い言葉をいただいたからこそ、今の自分があると思っています。

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「Oka Yasumichi 1956-2020」の1階に展示してあった岡さんの言葉には、次のようなものもありました。

中島哲也監督とは12年のつきあいになる。
改めて書くのもヘンだが、友人であると同時に恩人である。
「彼がいなかったら」と仮定すると恐ろしい。

僕にとっては岡さんは、「彼がいなかったら」と仮定すると恐ろしくなる人です。亡くなっても自分に影響を与え続けてくれる人に出逢えたことに感謝したいです。逝ってしまうのが、早過ぎますが。

人とのつながりは、とても仲が良くて頻繁に会う人のことだけではありません。僕にとっての憧れである2人のように、お互いに知ってはいるけれど周りから見たら仲が良いようには見えないような人で、でも自分の心の中にずっといるような(やはり片想いに近い)関係性もあることを覚えていてください。

このような関係の人を持つことができると、自分をさらに成長させることができると感じています。僕はこれからも片想いを力に変えて、日々成長していきたいと思っています。

「Oka Yasumichi 1956-2020」展で、TUGBOATの多田さんからあらためて名刺をもらいました。その名刺には岡さんの名前もしっかり記されていました。川口、多田、麻生、電通が誇るスーパースターたちで起こしたTUGBOAT、岡さんの想いはずっと続いていきます。凄く羨ましく思いました。

僕も憧れの人、岡さんの次の言葉を今後のマンガデザイナーズラボの社訓にしていこうと決めました。

つまらないものを作ってしまったら、
次の月から仕事がこない。

岡さん、ありがとうございました。
僕にとっては永久に憧れの(片想いの)人です。

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