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医療とは〜医師と患者さんの適切な関係〜

医学生として学習していると、医学生同士の会話で医療について話す機会が多くある。特に臨床実習に入ったばかりのころは、自分達が学んできた医学知識の乏しさに加え実臨床と知識のギャップに驚き、なぜもっといい治療があるのにこの患者さんはこの治療法しか望まないのかというむず痒さのようなものを必ず感じてしまうように思う。

しかし、最近になって、これは「医学」と「医療」を混同してしまっているからだと気がついた。

医療とは、(賛否両論あるが)基本的にサービス業と分類される。サービス業である以上は顧客(医療の場合は特別に「患者さん」と呼ぶ)の要求に応えることが主な仕事なのだろう。
よって、私たち医師は患者さんが何をしたいのか、を常に優先しなくてはならないのだ。また、そのために必要な情報や選択肢を患者さんに提供する必要がある。
患者さんとの関係はおおよそ登山者と登山ガイドの様な関係が理想なのだろう。

一方で、医学とは学問であるから、1つの疾患に対して今よりもより良い治療を突き詰めていくことがのぞましい。医学と医療を混同してしまうと、患者さんにまるで医学に参加させるような状態になってしまう。医学とはあくまで医療者が患者さんにサービスを提供するための質の担保であり、医療が医学そのものを提供する訳ではないのだろう(医学を提供する場所は強いていうなら医学部だろうか)。

この「医療とはサービス業である」という考え方があれば、患者さんと医師の関係性も自ずと見えてくるし、医師に必要な素質もわかってくるだろう。

確かに医師はときに人の生死を強く実感したり患者さんの病態に一喜一憂してしまったりするが、そこに強く感情移入してしまう様では仕事にならない。私たちの仕事はあくまで医学と法律が許す範囲の医療サービスを提供することだからだ。
患者さんからしたら、感情移入しない医師を冷たいと思う人もいるかもしれない。けれどお金をもらって「仕事」をする以上は、冷静な判断に影響を及ぼすほどの感情移入をしている様では給料に見合った仕事はできるまい。

よって、自分が推奨する治療法を選択しなかった患者に対して「この選択肢以外はあり得ません」という医師や、薬を飲んで来なかった患者に対して「きちんと飲まないと良くならないですよ!」と怒鳴りつける医師、さらに薬を飲んで来なかったために医師に「すみません、余らせてしまいました」と謝る患者さんも全部、医師と患者の関係性を間違えている様に思う。

適切な治療の選択ができるような十分な情報提供は重要だが、そこから先は患者さんに選択の権利があるわけであるし、例え薬をきちんと飲めなかったとしても、医者も患者さんも誰も悪くない。被害者がいるとしたら患者さん自身なのだ。薬が飲めなかったせいで体には余計な負担をかけてしまったかもしれない。謝るとしたら医者ではなく、自分の身体に対して「思いやりが足りなくてごめんね」と心の中で唱えるのがいいのではないか。

山を知り尽くしていて、かつ世間話もできる様な登山ガイドは需要があるだろう。医師も同じような特徴を持つ医師が人気になりやすい。
サービス業に携わる以上は顧客からの人気を目指そうか。


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