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桜がだいぶ散りましたね。

タイトルの通り、桜がだいぶ散りましたね。散ったところで全く悲観的な気持ちにならない点が私にとっての桜の良いところで、なぜ悲観的にならないかというと、来年も桜は咲く、という明るい未来を散ると同時に思わせてくれるから。

私は毎年、桜が咲くころにある記憶を思い出させられる。その記憶とは、私と姉と従兄弟の姉妹と、母方の祖父と祖母、計6人でお花見に行ったこと。
小さい女の子4人と、両親抜きで、おじいちゃん、おばあちゃんだけで一緒にお花見をしたことがものすごく、なぜかはわからないけど思い出深いのである。

当時の私は4、5歳、姉は2個上、従兄弟の妹の方は私の3つ上、従兄弟の姉は私より8つ上。私には歳の離れた弟がいるがその当時はまだ姿形もないことがものすごく時の流れを感じる。

母方の祖父と祖母は当時の私の言葉で言う「おさかなやさん」を営んでおり、このお花見の1番の思い出はおじいちゃんが握ってくれた鮭のおにぎりを食べること。
後から聞いた話だが、おじいちゃんは「孫4人と花見に行くために朝早くに起床し、この鮭のおにぎりを握ったり、お弁当を作っていた」と母から聞いた。そんな姿を幼かった私は想像もしていなかったので〝なんとも言えない気分〟だった。この〝なんとも言えない気分〟とは、感謝するという思いではなく、じいちゃんのお店の鮭を焼いて、骨を取り、ほぐして、といった手間ひまをかけて、おにぎりの中に詰めて食べさせてくれたことや、朝早く孫のためか、自分の大好きな酒のためかはわからないが、(まあ両方としておこう)その為に朝早く起床するなどといった私からしたら【見えない相手の行為】がたくさんあったのだろうという回顧。

昔から私は白米があまり好きではなかったが、なぜかおにぎりにすると食べられた。というよりおにぎりだけはむしろ大好物で、今でもあの、『じいちゃんが握ってくれたおにぎり』が世界で一番美味しかったと言える。こういうものはもう食べられないから世界で1番だと言えるのは分かっているが、やはりあのおにぎりはものすごく美味しかった。
従兄弟たちと4人で当時流行ってたミニモにのガチャガチャをし、私は紫のコインケースを手にしたことや、当たり前のようにあった青空の中公園を走り回ったことは今でも覚えている。それほど私にとってこの春の記憶が、幼い私のあらゆる感性を刺激したのだろう。

話は戻り、その当時のじいちゃんに対する私の【見えない相手の行為を考えること】がいかに大事か、今日ふと考えさせられた。というのも私が今、在宅ワークでずっと家に居る姉とギクシャクしているからだ。私はサービス業でこのコロナ禍の昨今、通常どおり出勤している。週5日土日関係なく働く私の唯一自分だけで寛げる場所が家だ。これまでは平日に家で1人で寛げることが当たり前だったし、その時間が私にとってはものすごく貴重で楽しかった。そんな家にはこの2週間ずっと姉がいる。

今日(金)たまたま休みだった私は大好きな洋画を観ていた。洋画は英語の勉強も兼ねているので大音量で見たい。都会は電車の音が邪魔をして小さい音量だと聞こえない。それも時間帯によっては5分に1度という高頻度。
だから音量を大きくして見ている中、もちろん一般的なOL(もはや死語?)の姉は自宅で仕事中。お互いリビングの大きな机に向かいあってお互いのやるべきことをしていた。
そんなとき、姉が「気が散るからイヤフォンをするなり、もう少し音を小さくするなり配慮してくれないか」と私に言った。私も私でずっと家にいる姉に対してストレスが溜まっていたのか、「あなたは仕事を家で〝させてもらってる〟わけでそっちが配慮してくれたらいいではないか、自分の部屋に行くなりなんなりすればいい」とついそのとき頭に浮かんだことを言ってしまった。

姉はその後、黙り3分ほど作業を続けた後、彼女の部屋に向かった。それも大きな扉の音を立てながら。
家族ですら、たったの2週間家に居続けるという理由から、ゴングが鳴り響く予感がした。コロナ離婚などというなんとも【the今時】な言葉があるように、他人と長い時間を共有すること、自分だけの場所と時間を十分に確保できないことは少なからず私をイライラさせた原因だろうし、姉も多少のストレスを抱えていたと思われる。実の姉妹でさえ他人と一緒に生活するということは大変なことなのにあかの他人と同居している皆様や、最も私が見てきた夫婦である両親は大したもんだと思わされた。だからこそコロナ離婚ということが実際に起きてももしょうがないことだとも思った。

好きな人と同棲したい、ずっーと一緒にいたい、などと脳内がお花畑状態の19の
私に未来の今の私からキツく忠告しておきたい。「そんな甘いもんじゃねぇ」って。
しかしこんな私だが人生1度くらいは『結婚』というものをしてみたい、私にその『結婚』というスタイルが合わないと感じたら解消したっていい。『結婚』とは深く考えればできないもので、だからもっと軽く考え、しかし、しゃんと譲れない部分は持っておく、ということが大事だと現段階では考えている。

そんな私が先ほど、いつものように洗濯ものを回そうとした。洗剤がだいぶ軽いことに気づいておりながら知らないフリをここ何日かしていた。
今日、ようやく「あとで買いにいくかー」と思ったがストックの場所に洗剤の買い置きがあった。私が記憶喪失をしていなければの話だが、おそらく姉が買ってきたのだろう。
有難い。姉の存在を鬱陶しく思う反面、こういうときには有り難く思う私は自分を恥じた。これぞ私が先ほど思った【相手の見えない行為】で姉はいつも細かなものを買い置きしてくれている。単純な私(妹)は誰もが目につきやすいものを補充するのだが姉はいつもそんな私の習性までも考え、私が買っていないものを補充してくれている。

考えてみれば、このコロナ禍で、未だに出勤している私の方がコロナウイルスに感染する確率は極めて高い。その職業が悪いわけでは全くもってないが、その職についている私は、お姉さまと同居を〝させてもらっている〟わけで、お姉さまに対して、「仕事を家でさせてもらってる」などと言えるような立場ではないことを実感した。このように色んなことを考え始めると自分の姉に対しての先ほどの発言の幼稚さが恥ずかしく思い、反省した。毎度のことながら、どんなタイプの口論でも喧嘩でも、後々反省する人が多いのではないかと思うし、やはり妹は姉に頭が上がらない、と思った。

今日この頃、誰かと一緒に過ごす時間が増えた中で、嫌なところがブワーっと見えてきた今だからこそ、私は【相手の見えない行為】を考えることのできる心の広さを持ちたいと思った。そう簡単な話しではないのはわかっている。
忠告しておくと私たち姉妹は普段は物凄く仲がいい。一緒に買い物もするし2人でカフェに行って色んな話もする。だからこそ同居して5年目に突入することができた。夫婦でいうならば少しずつ安定してきた時期ではないだろうか。知らんけど。

私は今、これからどうやって姉と爆笑しあえる関係に戻ろうか考えている最中である。しかし時間が解決してくれるだろうと楽観的にも考えてはいる。姉とでさえこんなちっぽけなことで喧嘩をするのだから、未来の旦那さんとの同棲にはあえて言葉を悪く使うが「まじでやべぇ」と改めてそんな簡単なことではないと腹を括った。
もともとは、全くの他人でそれが、惚れた腫れたで時が経ち一緒に生活をする。しかしその旦那さんにも、おそらく私からする【相手の見えない行為】がたくさんあるわけで悪い部分ばかりをどうしても目につく習慣を今のうちから治したい。
未来の旦那さんだけでなく関わる人全てに言えることなのだが。

さらに、上手くいけばこの旦那さんがいてくれるおかげで私の幼い頃のお花見の記憶が形は違えどもう1度似たようなシチュエーションを再現できるわけである。
大好きな心理学者の植木先生がホンマでっかtvで仰っていた。このような震災やウイルスの蔓延、テロ行為が終わったときこそ人間の絆を強めてくれると。実際にアメリカの9.11以降の年の離婚率は減少したと。いつまで続くかわからないこの時期、私も姉も、皆さんももう少し耐えて、お互のやるべきことをやっていきましょう。
明るい未来を想像することが、私の一生きる原動力です。

あちゃちゃちゃちゃ〜。