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『推し、燃ゆ』は推せない―発達障害としての視点【読書感想文】

最近話題になった芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』

今更になって読んでみましたが、確かに素晴らしい作品でした。
しかし、一方で「話題になった作品だからたくさんの人に薦めたいか」と言われると悩みます。

今回は『推し、燃ゆ』を純粋に人に薦めたいと思えない理由について綴っていきます。

あらすじ

題名からも想像つくように、推しがいる女子高生の話です。が、
あらすじに関してはちょっと調べれば出てきますし、オリエンタルラジオ中田さんのチャンネル、「youtube大学」でも詳しく詳しく説明されています。
非常にわかりやすく、そして面白いので、簡単に内容を攫っていきたい方はご参照ください。

ちなみに僕もこの動画でこの小説のことを知りました。
というわけで、細かいあらすじは省かせていただきます。

表現力

当たり前なのですが、表現力がえげつないです。
とは言ったものの、僕はあまり小説を読まないタイプの人間なので、果たして宇佐美りんさんの表現力がどれほどのものなのかわかっていません。

数百年に一人の逸材なのかもしれないし、こんなのどこにでもいるのになぜかちやほやされている程度の人なのかもしれないし。

再びで申し訳ありませんが、
「小説としての評価」という点も省かせていただきます。

あくまで僕個人が感じた感想文。
そして、他の方のレビューではあまり扱われていなかった視点で書いていきたいと思います。

主人公

主人公というのは読者に共感を求めさせる存在であり、主人公がどれだけ「読者」に近い考えを持っているかで物語の人気は左右されるし、読者層も変わってきます。
ルフィの"一番を目指す""仲間を大事にする"という部分が少年の心に刺さり、時には同級生の女子には理解されない部分かもしれません。
しかし、少年を虜にするにはそれで十分なのです。

では、今回の物語の主人公、"あかり"を見ていきます。

あかりの性格①

あかりはとてもだらしない人間です。
この前の推しのライブに行ったままの状態のリュックで登校してしまうし(P7)、体育祭練習のために洗濯した体操着をどこかにやってしまい、挙句の果てに学校をさぼるし(P10)、改めて探すかと思いきや、途中で見つけたDVDを覗き込んでしまうし(同)。
地理のレポートはメモをしたはずなのに、そのメモを見ることすら忘れて提出できなかったり(P24)、友達から借りていた数学の教科書を返しそびれてしまったり(P25)、保健室に提出する診断書もまだ出してなかったり(同)。

とにかくだらしないのです。
でも、そこにドキッとしてしまう人が山ほどいるはずです。
「あかりと同じだ・・・」
そう感じて読むのが嫌になる人が大勢いるはず。
だって、だらしない人間にとって一番見たくない現実だから。

このだらしなさは先に進むにつれてよりえげつない面を見せてきます。
これまでのルーズさは「可愛らしいうっかり屋さん」とも取れるような内容ですが、(人によってはこれだけでも十分心抉られたかもしれませんが)
普段の生活の中でそのルーズさがどういった問題を引き起こすかが垣間見えてきます。

あかりの部屋は脱ぎ散らかした服やらペットボトルやら教科書やら漫画やらポテチの袋やらありとあらゆるものが散乱しています。俗にいう「片づけられない女」なのです。(P36、43)

そもそも、服を探している途中にDVDを見つけてそれを見てしまったり(P10)、推しのライブ配信に夢中でやかんを火にかけていたことを忘れたり(P96)、他のことに気を取られると別のことを忘れてしまうのです。
雨が降って来たのに洗濯物を取り込み忘れるなんてしょっちゅうです。(P101)

そしてその弊害は生半可なものではありません。
散らかしていることを母に怒られてテレビのリモコンを取り上げられてる間に推しの順位は決まっちゃってるし(P66)、祖母の葬儀のための欠勤連絡を忘れてバイトクビになるし(P93)、火にかけたやかんを取りに行っているせいで推しが笑っている理由を見逃すし(P97)
とにかくこの性格のせいで人生を損しています。
だらしない人間にとって一番見たくない現実です。

あかりの性格②

あかりは空気が読めないです。

あかりは居酒屋でバイトをしていました。
しかし、上述のように仕事ができません。
仕事内容は「こうだったらこう、こうだったらこう」というように分岐していく道を一つずつ覚えていきます。まるで機械のように。(P45)
常連に「ハイボール濃いめにしてよ」と言われたらメニューにないその注文の値段を正確に把握しようとしてしまいます。おまけの精神がありません。(P46)
勉強を必死に頑張っている姉、推し活を頑張っているあかり。「別々に頑張ってるでいいじゃん」と言ったあかりに姉がキレた理由が分かりません。(P57)
家が散らかっていることに母が腹を立ててテレビのリモコンを取り上げたのに、「なんで」と聞き返してしまいます。(P65)
父が真剣な話をしているのに、父のおじさん構文を思い出してにやついてしまいます。(P90)

決して嫌がらせをしているわけではありません。
純粋に空気が読めなくて、それで失敗してしまうのです。
なぜ周りと同じようになれないのだろう・・・
そう感じたことのある読者も少なくないはずです。

だけど、推しのことに関してだけは真剣になれます。
どれだけ散らかった部屋でも、推しの祭壇だけは整理され、メンバーカラーで彩られています。
CDや雑誌は年代順に並べられ、最新作が出るたびに棚の最上段のものを置き換えます。(P37)
推しは背骨だから

あかりの性格③

あかりは勉強ができないです。

九九は言えないし、アルファベットも覚えられません。(P53)
ひたすら漢字を書いて臨んだ漢字テストもビリ。(P55)
姉が懇切丁寧に教えてくれた三人称単数現在形は次の日には忘れます。(P56)

推しの基本情報は何もかも覚えているのに。(P63)

どれだけ勉強しても駄目だった。
自分はどうしようもない馬鹿だ。
そう感じたことのある読者もいるかもしれません。

あかりと障害

ここまでのあかりの性格を見てみるいくつかの障害名が浮かびます。

注意欠陥多動性障害(ADHD)・・・性格①
アスペルガー症候群(ASD)・・・性格②
学習障害(LD)・・・性格③

実際にあかりには二つほど診断名がついています。(P9)
しかし、薬を飲んだら気分が悪くなり、それ以降病院はバックレてしまいます。

これがこの作品の裏テーマなのではないかなと僕は思います。

主人公への共感

冒頭でも述べた通り、文学にとって"読者が主人公と共感すること"はとても重要です。

この作品の主人公は"推し"がいる女子高生です。
主人公はSNSを使い推しの情報を集めます。
インスタ、youtubeで推しの生配信を視聴し、
自分が得た情報と感想をブログを通して発信していきます。

地理教師はクールビズで授業をし、父親は女性声優におじさん構文でメッセージを送ります。
推しはデリバリーサービスを利用し、ご飯を買い、その配達員がストーリーにあげて住所が特定されます。

この設定に共感できる読者層ってどこでしょうかね?
恐らく、中高生、20代前半の若者を意識した文学ではないでしょうか?

そんな現代の若者が抱える問題とは何か?

その中の一つに"発達障害"があると思います。

ここ数年で急激に話題に上がってきたもので、
SNS等でも「ADHD」だとか「アスペルガー」だとかいう単語を目にする機会が増えました。
厳密な説明は省きますが、
ADHDは物事に集中できない、すぐ気を取られてしまう。
ASDは空気が読めない。
LDは勉強ができない。
といった障害です。

近年では周りの理解度が高くなったと同時に、自分だったり身内だったりがこれらの発達障害に分類されているという事実に気づく人も増えたと思います。
実際に、10年近くで特別支援学校、特別支援学級、通級指導教室に在籍している児童生徒の数が急増しています。

グラフ

文部科学省HPより引用

このような現状が読者層である若者にフィットしたのではないでしょうか。
もしくは、文学をよく読む中高年以降の方に向けて現代の現状を訴えたかったのではないでしょうか。

発達障害は目に見えない障害です。
目が見えない人は白杖を持って歩くのですぐにわかりますし、耳が聞こえない人は補聴器をつけているのですぐにわかります。
周りの人もそれなりに配慮してくれるかもしれません。
しかし、学習障害は目に見えません。
"なぜか"あいつは勉強が全くできないバカなのです。
"なぜが"あいつは空気が読めないアホなのです。

現代はそんな人も気づいていこうと必死になっています。
社会では「合理的な配慮」が求められ、「できること・できないこと・何か条件があればできること」などを考えてくれる時代になってきています。

もっと障害のことをあかり自信が受け入れ、周りが認めていれば物語の結末は変わったのでしょうか?

人間の最低限度の生活が、ままならない

度々、あかりの苦悩が書かれています。
・あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。(P37)
・「あかりは何にも、できないんだから」(P59)
・どうしてできないなんて、あたしのほうが聞きたい。(P74)
・なぜあたしは普通に、生活できないのだろう。人間の最低限度の生活が、ままならないのだろう。(P123)

どうすればあかりはこの先幸せになれるのでしょうか?
それは、もう不可能なことなのでしょうか?

どうしても周りと同じ生活ができなくて、なかなか周りに認められなくて、そういった現代人の葛藤を生々しく描いた作品だったと思います。
そして、逆に生々しくて簡単には人に薦められない、そのように感じました。
何も考えず、自分にとって辛いことを隠して無視して意識の外に飛ばした状態で生きた方が幾分も楽なのではないか、と感じたからです。

これが「人に薦められない」と言った理由。
自分にとって見たくない、蓋をしたい自分の姿を赤裸々に書き綴られ、
「それでもいいんだ」といったようなポジティブなメッセージもなく、絶望のまま終わっていく。
読むためにはそれ相応の覚悟が必要だと感じたのです。

流石は芥川賞受賞作
あの「羅生門」や「地獄変」を書いたような文豪が呈された賞を取るだけの作品だ。

そうも感じました。
全くハッピーエンドで終わらず、絶望感だけを残していく。

非常に素晴らしい文学です。
しかし、読むには覚悟をしてください。

皆さんの中に、推しが突然いなくなった方はいませんか?どうしても周囲に馴染めない方はいませんか?
そういった方々は読むのを避けた方がいいかもしれません。

あくまで自己責任でお読みください。

では、また次回の記事でお会いしましょう。
ありがとうございました。

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