生きづらいあなたへ。食わず嫌いせずに読んでみてほしい1冊「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」(メンタル維持編)
人間関係が苦手で、うまくやれない自分をせめて、自分に自信がなくて。
生きづらくて泣きたくなって、泣いても誰も助けてくれないって強がって笑って。がんばって生きている生きづらい人が、世の中にはきっとたくさんいる。私もずーーっとそれでしんどかったから、よくわかる。
このnoteは、自分に自信がなかったり、「すぐ病む」と思っていたり、生きづらいあなたに向けたnote。
自己肯定感地にめり込んだ海底から平泳ぎで戻りつつある私からの紹介note。どうかお付き合いください。
私はすごく生きづらかった。
友人たちが見つけてくれた長所すら、「そんなことないし…」って生きてきた時期が長くある。仕事で病んでたこともある。人から見たら「スムーズだよね」って言われる側面もあったし、客観的に見たら「そう見えるかもなぁ」って部分もあるけど、自分的にはなにもうまくいってない。生きづらかった。
昨日noteで紹介した「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」。
昨日は自己実現に特化して紹介したけど、
人間関係やメンタルについて「これは」と思う部分があったので、今日のnoteは「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ(メンタル編)」でお送りします。
1)みんな、人間関係実験中。やってみなきゃわからない。
kemio(けみお)。職業は、多分「けみお」でいいと思うけど、wikiさん的にはモデル、タレント、YouTuber…らしい。
ここで、「いや、kemioって誰?」なあなたに、本書で述べられているkemioの半生をちょこっと紹介。
事情があり祖父母を「両親」として育ったkemioは、「周りをHappyにしたい」という気持ちで生きてきた。
いわゆる「女の子が好きなもの」が好きで、人間関係がうまくいかず、男子に菌扱いされたり、女子からハブられて、「それいじめじゃない?」みたいなこともあった小学生時代を乗り越え、中学では親友ナディヤはじめ、イツメンとの楽しい日々が始まり、生涯の憧れ、レディー・ガガを知る。
成績が最悪過ぎて三者面談で「行ける高校がありません」と言われ祖母が泣き、当人は「高校行けないとバイトできない!」「ケータイ買えない!(当時kemio、PSP)」と奮起、祖母が金銭的に厳しい中塾に放り込み、もう勉強して都立の高校合格。合格の喜びで祖母とともに号泣し、次の日顔がむくむぐらい泣いた。
高校では、「姫でーーす」と自己紹介するところからスタートして自分をさらけ出した。中学までで「オカマ」とか言われていたから、それに対する先制パンチのつもりだった。
それは功を奏して高1では最高の仲間ができ、楽しみつくして振り切れた結果、高2ではその仲間たちとクラスを離された。「楽しまなくちゃ!」と文化祭の中心に立候補するも、クラスが全く乗ってこず、失敗。のちにクラスからはフェードアウト、Twitterなどで学校の外で世界とつながるようになる。彼女がいたこともあるが、ゲイを公表している。
あえてここでセクシャリティについて触れたのは、そういったマイノリティであることで、生きづらさを抱えている人もいるかもしれない、と思ったからだ。ちなみに、本書を読む限りkemioがそこに生きづらさを抱えていたかはわからない。なんでもないことのように書いている、という事実だけ書き添える。
私は、この高校時代の「姫でーーす」って自己紹介したkemioって本当にすごいな、と思う。中学時代に基盤ができていたこともあるのだろうけど、吹っ切って「そういうキャラだ」と勝負に出たことが、本当にすごい。
みんな人間関係実験中。
人間関係って失敗しないとなにも進まなくない?自分で動かないと、学べない。誰かに相談したりアドバイスもらったりしたっていうのはもちろん大事だけど、結局そのフィールドで戦うのは自分なんだよね。これを言ったらKYと思われないかな?嫌われないかな?とかいろいろ考えちゃうこともある。でもさ、そんなふうにあれこれABCDEの道を予想してみたところで、実際やってみたらZでしたーみたいなこと多くない? 「あれ?私考えすぎてた?」って感じで、予想してた怖いバッドエンドなんてどこにもなくて、なーんにも悪く思われないこととかあるある。
昔は、人から頼まれたことを嫌でもやることで、好きな気持ちが伝わればいいなとか思ってた。でも違う。(略)そう思って、だんだん言うようになった。それで、「嫌って伝えても大丈夫なんだ」って思う体験を繰り返してやっと「NO]って言う大切さに気付けたの。
自分に自信がないと、「嫌われてしまうんじゃないか」と思って「NO」が言えないのはあるある。そういう人は、「自分には価値がない」が前提に立っているから。「NO」と言わないことで、自分が嫌われるリスクを下げているんだけど、実際は実は「NO」と言っても嫌われないことはよくある。
世の中的には普通に「NOと言える」人が当たり前にいるから、そういう人は実は自信がない人が「リスクをとってNOと言っている」ことには気付いていなかったりする。
「NO]と言ってもリスクはなく、「NO」と言わなくてもリスクはない。リスクは自分の「不安」だけ。
「なんだー(嫌って言っても)ぜんぜん大丈夫じゃん!」ってZの結果を何回も体験しないと、脳って永遠に理解してくれないから、脳ってわりとメンヘラ。
そう、脳はメンヘラ。メンヘラに付き合うもよし、付き合わないもよし。
別に「NO」を言うことで、自分が不安に押しつぶされるなら、「NOと言わない」選択肢は、ある。だけど、もしそんな自分に嫌気がさしているなら、「NOと言うリスク」をちょっとでも取れるところで、言ってみるのはアリだ。
その結果を受け止めるのも自分だけど、意外と「大丈夫かもしれない」って思えることは、絶対ある。これは、私の実験でも検証済み(笑)
人間関係の待ちの姿勢って宝くじ一等を夢見てるのと同じ。自分から電波立てないと、死ぬまで圏外で終わるよ。
2)コンプレックスなんかいくらだってあるけどそれって誰基準のフィールドだよ
職業に「モデル」が入っているkemio。身長194cmもあるし、このスタイルだし。このお顔立ちだし。
お父様はイタリア人とイラン人のミックス、お母様日本人。
いやもう、遺伝子のいいとこどりしたなオイ!!と言いたいところだけど、kemioにも見た目のコンプレックスはあるらしい。
いいな、あの子はかわいくて~私ってブスじゃん~と思ったことはもちろんある。整形したいとすら思ってた
(メス入れるの怖くてやめたらしい)
コンプレックスなんか1000個以上あるけど、どうにかするより体も中身も好きになったほうが秒じゃね?省エネじゃね?って
高校生の頃にね、急にめんどくさくなったの。この姿で産み落とされちゃったのは変えられないんだから、この悩んでる時間クソじゃねって。みんなのクールに合わせる必要あるかな?ダサいって言われても私が幸せだったらどうでもよくねー?って。自分でいいと思うものをチョイスして、それでも私を大事にしてくれる人と一緒にいればよくねーって。
嫌なとこ受け入れるのってすごく大変なことだけど、ちょっとしたきっかけから変われるよ(略)ほんのちょっとの変化から、自身掴んでいこう!
戦ってるフィールドは人それぞれなんだし、見た目の良しあしじゃないところも強化して、思考回路の迷路をいい意味でしわしわにして勝負してこ。
何かを「身に着けて」得られる自信は、一歩間違えばいわゆる「折れる自信」になる。(↓「折れる自信」と「折れない自信」の詳細はこちら)
自分自身を受け入れることは、間違いなく「折れない自信」につながる。
自分を削り落とすことはなにもなくて、「こんなところもあるよね」とただ認めてあげればいい。それだけ。
自分の見方が欲しくて寂しいのに、自分が自分の敵になる。だからしんどい。実際「自分を好きになる」のは秒でもなければ省エネでもない。
好きになれないからしんどいんだ!って思う。嫌なところばっかり目につくからしんどいんだ!って叫びだしたくなる。
それって結局「そのしんどさから抜け出したい」「自分を好きになりたい」って叫び。
とりあえず敵に回らないことから始めたらいい。「私、そういうとこあるよね。」で、終わる。「そんなだから…」って責めない。善悪つけない。
それだけでかなり息がしやすくなる。そしたら、自分でいいと思うものをチョイスする余裕も、自分をいいって言ってくれる人にも気付ける余裕が出てき始めるもの。
3)「病む」を馬鹿にすんな。でもダラダラ引きずらずにテンポよくいこう。
この部分は、結構若者共感度合い高いんじゃないかなぁ。この部分で、「あ、実はkemio本当に自己肯定感高いわけじゃないな」「結構しんどい重いして、乗り越えてきた優しさだな」って感じた。
病むことに、みんな厳しすぎるんじゃないかなって感じる。「あいつ病んでばっかだよね」とか言ってバカにする人も見かけるけど、それは違うんじゃないかと思うよ。(略)どう考えても、真剣に精神的に落ち込んでいる人をバカにするのはいけないことだと思う。
「病む」っていう言葉のせいでポップになりすぎてる感さえあるよね。閉鎖的になっちゃう人のことは冷静に理解していきたいよねって思います。自分だったら、理解してもらえたらうれしいなぁ。
「病む」人は正直めんどくさい。みんな自分のことで精いっぱいだから、「病む」ってしょっちゅう言う人って正しく「かまって」に見える。だって、人を求めてる状態だもん。そりゃそうだよ。
自分で処理しきれなかったからあふれてるんだもん。全力で体重かけられたら支えきれないかもしれないけど、でも、求めてるのは「わかる」って言葉1つだったりする。そこを否定しない優しさが、kemioにはある。
だけど、別に全肯定しないところも共感。
とりま、ひとつの闇をダラダラ続けるのはやめたほうがいいかも。どうせ次の闇がくるからすぐ行ったほうがいいの。「はい次の闇、はい次の闇こんにちは」ってファクトリー化しながら進んでいかないと追いつかない。
闇の2個持ち3個持ちとかしんどすぎるから、手放していかないとね。
…闇をまさかの携帯みたいに言う。2個持ち3個持ちて!
病んでる自分を否定せず、人になんか言われてもアンパンチかまして自分で手放す解消法を探す。病んでる自分に酔い過ぎず、病んでることで自己否定せず。
あんなに便利なAmazonにだって不安を消す薬なんて売ってない。自分で脳をあやつって不安じゃなくするしかないの。
私は、この本を全肯定できるわけじゃない。「考え方違うな」って部分もあるし、「年代だな」って思うところもある。
でも、ベースのところではおおむね同意だなって思うし、キャッチ―で絶妙な表現だなって思うところもある。だから、それこそビュッフェのようにお皿にのせて紹介してみた。
私が載せていない料理だってきっとおいしいと思う人もいるでしょう。
もし興味がわいたら手に取ってみてください。今ならAmazon Unlimited読み放題に入ってます。
なお、これでAmazon Unlimited入っても、私には一銭も入らないどころかAmazonに私の存在さえおそらくばれません(笑)
なんとAmazonレビュー、185件あって評価4.5!!!
多くの生きづらさを抱えた人に届いている模様。(なお、昨日のnoteにも書きましたが、私、この本タイトル惚れ)
ウチら今人生をランウェイ。
死ぬまで自分の道をランウェイ。
自分が主役だし拍手喝采。堂々と真ん中歩いていこうぜ。
ちなみに自己実現特化の記事はこちら
私が好きなものを好きと言えるようになったきっかけはこちら
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