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藝術とは、魂を共鳴させられるか

私は理論、(脳科学とか置いておいて)
藝術とは
魂を共鳴させられるか
に尽きるのだと思っています。

音楽のライブハウスで、みんな我を忘れてその世界観に没入するじゃないですか?

様々な業界、考え方の人がいる。だけども我々は、心で繋がっているのではないかとライブハウスでは感じる。みんなが一体になる。我を忘れる感覚、人間という生命体同士の繋がりを感じる


私は音楽家ではなく、現代美術家として生きていく。だが、音楽が作り出す、ライブハウス空間をまるごとものにした〝藝術〟こそがアートなのではないかと思っている。


音楽だけではなく、美術でも私はそれは可能だと考えている。空間をものにし、没入感、一体感…自分を忘れさせるような、圧倒的藝術は築けるはず。


事実、ヨーロッパの聖堂に行ったひとの感想が、「我を忘れて神秘的な気持ちになった。」そう答えている。
聖堂は数建てられたか、理由はいくつかあると思うが、やはりキリスト教のためだ。


人は弱い。
あまりの悲しみに、何かにすがらねば生きていけない時もある。宗教は思想で統治する目的もあったと思うが、人の心の救済が根底にあると思う。


聖堂建築には光の差し込み方が工夫されている。自分を忘れ、一体化する。魂が共鳴する。そう思わせられる圧倒的空間であり、外から見た時に素晴らしいと感じる建築デザインがされているのが聖堂なのだ。


今現代アートは、王の権力から外れ、また様々なテクノロジーとの融合を行なうようになった。
だが、〝魂が共鳴する〟ような作品はどれだけこの世にあるのだろうか。

現代アートはどこに向かうのか。
私は藝術が新しい道を模索している中でも、新しいアートの定義を築いていきたい。

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