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確立されたキャラクター

ある人が言った。
「人を小馬鹿にして笑いを取れると思うなよ。」と。

人を下げて、自分を棚にあげて笑いを取ろうとする人間がこの世には存在している。
そうすることでしか、自信を持てないのだろうか。
心底不思議に思う。

小馬鹿にしたことで、それがネタだとでも思っているのだろうか。
私には理解が難しい話なのかもしれない。

おバカなキャラクターを演じれば良いのだろうか。

その場でのノリに対応することは、容易なことではない。

確立された自分のキャラクターの中で生きるというのは、
時に苦しくもあるのだ。

歳を重ねていくうちに、学ぶことが増えて、
知っていることが増えた。

それはむしろ、厄介な話であった。

「知っていることが増えるということは、
その分、知らないフリをしなければならない。」
ということなのではないだろうか。

それにふと気付いてしまって以来、少しばかり胸が苦しくなった。

社会に出る上で、
「自分のキャラクターを確立しておくこと」が
いかに重要なのかは、すぐに分かった。

社会での自分は、ほんの一部の自分の姿にしかすぎない。

確立した自分のキャラクターでいることは、
案外楽なことではある。
ただ、それを割り切るのは容易ではない、という複雑なお話である。

一部の姿しか知らない人間に対して、
そうじゃないまた別の自分の一面が見えた時、
人は脳内で整理がつかなくなる。

あれ?と思うのだ。

その違和感を持たせてしまった時、
ある意味、自分の弱みを握られてしまった瞬間でもあるのかもしれない。

人は案外、人に無頓着で、それほど興味はないものだが、
「一瞬で感じた違和感」というものは、案外覚えているものである。

厄介だな、と思う。

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