下村 真代

言葉を探して紡いだら

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最近の記事

ヤングケアラーへのまなざし | #10

▼前回の話はこちらから ヤングケアラーに関する文章を複数回に分けて投稿してきたが、この投稿が最後だ。 私は、私が抱えてきたような悲しみや苦しみが、いまの子どもたちに繰り返されてほしくないという思いがあってこれを書いた。私の経験上、精神疾患や精神医療に関する話が中心となったが、精神疾患を抱える人が年々増加するなかで、私のように悲しんだり苦しんだりする子どもはいまもいるだろう。 なぜ、子どもがケアをせざる得ない状況になっているのか、それを生み出している社会の歪みは何かという

    • メリデン版訪問家族支援 | #9

      ▼前回の話はこちらから #6の投稿では、精神医療をよりよくしていくことが、子どもがケアすることを強制されないために必要なことの一つだと書いた。 それでは、精神医療はどうなるとよいだろうか。勉強するなかでこれは導入されていくとよいと思った3つの試みを前回に続き紹介していく。 3つ目は、イギリスで生まれたメリデン版訪問家族支援という精神疾患のある人を含めた家族に対して支援者が訪問によって提供する支援である。入門研修を受けたことがあるのだが、この支援の根本には以下の考えがある

      • ACT(包括型地域生活支援プログラム)| #8

        ▼前回の話はこちらから #6の投稿では、精神医療をよりよくしていくことが、子どもがケアすることを強制されないために必要なことの一つだと書いた。 それでは、精神医療はどうなるとよいだろうか。勉強するなかでこれは導入されていくとよいと思った3つの試みを前回に続き紹介していく。 2つ目は、ACT(アクト/Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援プログラム)という、精神科医、看護師、作業療法士、精神保健福祉士などがチームを組み、地域社会のな

        • オープンダイアローグ|#7

          ▼前回の話はこちらから 前の投稿では、精神医療をよりよくしていくことが、子どもがケアすることを強制されないために必要なことの一つだと書いた。 それでは、精神医療はどうなるとよいだろうか。勉強するなかでこれは導入されていくとよいと思った3つの試みを紹介していく。 まず1つ目は、フィンランドのケロプダス病院という精神科病院で生まれたオープンダイアローグだ。これは何かというと、対話だ。 不思議に思われるかもしれないが、オープンダイアローグによって精神病状を有するとされた人た

        ヤングケアラーへのまなざし | #10

          子どもがケアすることを強制されないために|#6

          ▼前回の話はこちらから 前の投稿では、子どもがケアすることを強制されないための支援が必要だと書いた。そこで大切なのは、子どもがケアすることを強制されない環境が本当につくられているのか、という視点だと考えている。 私のヤングケアラー経験を参考に少し考えてみたい。 高校3年生のとき、母が退院したがケアが必要な状態であった。私はいつもの家事などに加えて母の見守りなどが必要となった。すでにケアすることを強制される状況だったのだが、さらにケア負担が大きくなっていき集中して勉強でき

          子どもがケアすることを強制されないために|#6

          ヤングケアラーにおける問題とは何か|#5

          ▼前回の話はこちらから ヤングケアラーにおける問題は、ケアの対象が親なのか祖父母なのかきょうだいなのか、そしてどのような病気や障害なのかなどによって様々だろう。 ただ、共通していえる問題は「子どもがケアすることを強制されるなかで、子どもの権利や可能性が奪われること」ではないだろうか。 私のことでいえば、主に家事というケアをしなければ生活が成り立たず、ほかの誰かがケアをする環境ではなかった。ケアが強制される状況にあって、その時間に勉強をしたり、遊んだり、好きなことをしたり

          ヤングケアラーにおける問題とは何か|#5

          少しずつ私を取り戻していく|#4

          ▼前回の話はこちらから 私は母の病気に向き合おうと勉強していくなかで、以前よりも母との関わり方がわかるようになってきた。母と話ができることはとてもうれしいことだった。 一方、入院している母との面会を重ねるなかで、罪悪感を一層覚えることが度々あった。例えば、冬の寒い日に面会に行くのにコンビニで温かい飲み物とお菓子を買って向かったときのことだ。 本当に何気ない会話なのだが、母に会って「寒いね~」と私が言うと、母は「ずっとここにいるからわからない」と言った。 私は母がいる病

          少しずつ私を取り戻していく|#4

          「困った人」ではなく「困っている人」|#3

          ▼前回の話はこちらから 私は『当事者主権』を読んだことをきっかけに、まるで罪をつぐなうように、母の病気に向き合おうと勉強したり面会によく行ったりするようになっていった。 勉強していると、べてるの家という精神疾患があっても地域で生活している人たちの拠点が北海道は浦河にあることを知った。 母との関わり方がよくわからなくなっていたことや精神疾患があっても地域で生活するにはどうしたらいいのかヒントを得たくて、べてるの家に見学に行った。 これらは見学した当時の写真である。ちなみ

          「困った人」ではなく「困っている人」|#3

          当事者のニーズがぶつかりあうとき|#2

          ▼前回の話はこちらから 高校を卒業して、私は家から離れて大学に進学し就職をした。家から離れたことで、諸々の気にかけていたことからも離れられたように思い、自由に生活をしていた。 一方で、母は引き続き入院をしていた。母の日や母の誕生日、実家への帰省にあわせて会いにいっていたので、この頃私は年に数回ほどしか母に会っていない。すでにこの時点で母は10年ほど入院をしている。ここからは、私が20代後半に母の退院に向けて私が抱いた葛藤や気づきの話になる。 あることがきっかけで、中西正

          当事者のニーズがぶつかりあうとき|#2

          私のヤングケアラー経験|#1

          私のヤングケアラー経験について書いてみようと思う。 私は苦しくて仕方なかったときに、本や自助グループで読んだり聞いたりしたヤングケアラーの語りにとても救われた。微力ではあるが、同じように悲しみや苦しみを抱える誰かの助けになれたらと思って書きたいと思った。(ヤングケアラーについては後ほど説明する。) 何より、私が抱えてきたような悲しみや苦しみが、いまの子どもたちに繰り返されてほしくないという思いがある。私の個人的な経験に基づいて、ヤングケアラーにおける問題や望まれる支援につ

          私のヤングケアラー経験|#1