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子どもがケアすることを強制されないために|#6

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前の投稿では、子どもがケアすることを強制されないための支援が必要だと書いた。そこで大切なのは、子どもがケアすることを強制されない環境が本当につくられているのか、という視点だと考えている。

私のヤングケアラー経験を参考に少し考えてみたい。


高校3年生のとき、母が退院したがケアが必要な状態であった。私はいつもの家事などに加えて母の見守りなどが必要となった。すでにケアすることを強制される状況だったのだが、さらにケア負担が大きくなっていき集中して勉強できる環境ではなく、結果的に母はまた入院することになった。(詳しくは、#2に書いている。)

母の入院によって、私のケア負担が軽減されたように思われるが、本当にそうだろうか。

いや、そうではない。私は精神科病院の閉鎖病棟という不自由な環境下に母がいるということに大きく苦しめられていた。つまり、ケアの対象に不適切な治療やケアがされる限り子どもはケア役割から離れられないのである。

もちろん、母が入院していることで直接的なケアからは解放されたのかもしれない。それでも、入院中の母に私がしてきたことがケアではないといえるだろうか。(入院中の母のケアについては、#4に書いている。)

どれだけヤングケアラーへの支援が入ってヤングケアラーのケア負担が軽減されたとしても、ケアの対象の人権が守られていない限り、子どもはケアラーであり続ける。

ケアの対象の人権が守られてこそ、子どもがケアすることを強制されない環境がつくられたといえるのではないだろうか。


精神医療の不全にヤングケアラーが苦しめられているというのは、少なくとも私だけの話ではない。

横山恵子、蔭山正子、こどもぴあの『静かなる変革者たち 精神障がいのある親に育てられ、成長して支援職に就いた子どもたちの語り』に収められている語りを読んでいただければ、ほかにも親が精神科病院に入院することで葛藤する子どもの様子が書かれていることがわかる。

諸外国の地域移行の動きに比べて、日本は昨今でも精神科病院における人権侵害が起こっている。

こうして社会が長らく目を背けてきた問題が子どもにケアすることを強制させるという形で影響を及ぼしているといえないだろうか。精神医療の不全を先延ばしにする限り、子どもがまた苦しめられ、つらい思いをする可能性があると私は思っている。

いま、ヤングケアラーへの支援が模索されているところだと思うが、精神医療をよりよくしていくことは子どもがケアすることを強制されないために必要だろう。


ちなみに、精神医療に関わる支援者を責めたい訳ではない。支援者も当然人間であるし、患者と関わったり病院という組織で働いたりするなかで、私の想像が及ばないような様々な傷つきや葛藤もあるだろう。支援者のケアも必要だと思っている。

それに、精神疾患への偏見があって理解がなく、閉鎖的な環境で治療やケアを受けざるを得ないような状況をつくりだしている社会の側にも問題はあるだろう。

わからないことはたくさんあるし、これからも勉強していきたいと思っているが、私自身の経験から、精神医療をよりよくしていくことが子どもも親も守られる方法の一つだと思って書いている。


次は、勉強するなかで精神医療に導入されていくとよいと思った具体的な取り組みについて述べていく。

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