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少しずつ私を取り戻していく|#4

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私は母の病気に向き合おうと勉強していくなかで、以前よりも母との関わり方がわかるようになってきた。母と話ができることはとてもうれしいことだった。

一方、入院している母との面会を重ねるなかで、罪悪感を一層覚えることが度々あった。例えば、冬の寒い日に面会に行くのにコンビニで温かい飲み物とお菓子を買って向かったときのことだ。


本当に何気ない会話なのだが、母に会って「寒いね~」と私が言うと、母は「ずっとここにいるからわからない」と言った。

私は母がいる病院での不自由さをぜんぜん理解していなかった。母は自分で外に出ることができない環境にいるのだった。暖房がかかった環境にいるから、寒い日に飲む温かい飲み物のおいしさとかも感じ方が私とはたぶんちがう。

私は改めてひどいことをしてしまったと感じて、閉鎖病棟をあとにしながら泣きながら帰った。


ひどい罪悪感ゆえに、自分が自由に生活していることを心苦しく思うこともあった。

食べたいときに食べたいごはんを食べる、好きなときに好きな服を着て出かける、これまで何も思わなかったことが当たり前じゃないことがわかると、自由に暮らしていることに申し訳なさを覚えて、友人と遊んだりしていても心底たのしめていなかった。

仕事はフルタイムで週5勤務だったが、休みの土日になると、母のために何かできることをと思って面会に行ったり精神医療に関しての勉強をしたりすることに意識が向いていた。

こうした私の思考や行動は理解しがたいと思われる方もいるかもしれないが、家族が不自由な環境にいることがわかって正気でいられるものなのだろうか。


病院の環境に制限があるなかでも、少しでも季節を感じられるように外出の機会を増やしたり、コロナの影響で面会や外出ができなくなってからは着替えなど荷物を届けるときは必ず手紙をそえたり、ということを続けてきた。

そうして母と向き合うことで、母は以前より表情が豊かになりいろんな話をしてくれるようになった。もちろん、私だけの力ではないだろう。父や兄や支援者の関わりも影響していると思う。いずれにせよ、とてもうれしい変化だった。


一方当時の私は、母のことを考え過ぎるなかで、自分のしんどさに気づけなくなっていた。

それは、当事者研究の学会であった家族を対象にした分科会で気づくことになった。

ある家族の悩みを共有して当事者研究をするというものだったのだが、そこで私が「母のことを思うと、何も言えなくなるんです」と言った。

途切れながらふり絞って出したような言葉であった。言葉を出したときは、もう号泣であった。急に私が泣くものだから場が硬直してしまって、みんなが心配そうにこちらを見ていたのをよく覚えている。

やってしまったと思ったが、それぞれが自分の思いや経験を話してくれた。そのなかで「精神疾患のある親の子どもにもっと目を向ける必要があると思いました」と話してくれた方がいた。

私はまた号泣してしまった。気にかけてくれたことがうれしかったのだと思う。その方に気にかけてもらえて、私は自分に目を向けることをしてきていなかったのだということにやっと気づかせてもらった。

これまでは自分が当事者だとは思っていなかったのだが、母も当事者だし私もまた別の当事者だった。

長らく私は抱えていたしんどさがわからなくなっていたが、胸の内に秘めていた「母のことを思うと、何も言えなくなる」という違和感を言葉にでき応答してくれた人がいたことで、傷つきから回復していくきっかけを得ることができたように思う。あのとき、自分に目を向ける必要性に気づかせてくれた人に心から感謝している。


それからのこと、自分と同じような立場の人のことを知りたいと精神疾患のある親に育てられた子どもの体験談を読むようになっていった。

これは2018年の出来事で、当時ヤングケアラーという言葉は知らず一般的でもなく語りが収録された本は限られていた。そのなかで、漫画家の中村ユキさんや児童精神科医の夏苅郁子さんの本を読んだ。語られづらい事柄を表現されたことに本当に感謝している。また、家族会や子どもの立場の自助グループにも参加するようになっていった。

こうしていろんな方とお話させていただくなかで、フラッシュバックしたトラウマ的な出来事を言葉にできるようになっていき、少しずつ私を取り戻していった。


そして、手短に説明するのが難しいので近況だけいうと、17年の入院期間をへて母は今年退院した。『当事者主権』を読んですぐに退院に向けて動けなかったのは、私のトラウマも影響していたといまでは思う。

問題に気づいてから時間を要してしまったけど、退院にいたって本当によかった。ちなみに、退院にいたるまで私だけではなく父や兄も深く関わっているし、支援者にも感謝している。


ただ、本来は誰かによって退院が決められるものではない。退院に限らずどのような治療やケアを受けるかなども含めて、母の人生は母のもので、誰かが母の意思決定を奪う権利はない。

また、母の人生は母のものであると同時に、私の人生は私のものである。ケアを要する親だけではなく、その子どもも守られるためにはどうしたらいいのだろうか。

次からは私に起こったことに基づいて、ヤングケアラーにおける問題や望む支援について書きたいと思う。

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