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ヤングケアラーにおける問題とは何か|#5

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ヤングケアラーにおける問題は、ケアの対象が親なのか祖父母なのかきょうだいなのか、そしてどのような病気や障害なのかなどによって様々だろう。

ただ、共通していえる問題は「子どもがケアすることを強制されるなかで、子どもの権利や可能性が奪われること」ではないだろうか。

私のことでいえば、主に家事というケアをしなければ生活が成り立たず、ほかの誰かがケアをする環境ではなかった。ケアが強制される状況にあって、その時間に勉強をしたり、遊んだり、好きなことをしたり、ということはできなかった。これらは、子どもの権利侵害にあたることはもちろんだし、勉強をしたり、遊んだり、好きなことをしたりするなかで発揮されうる可能性も奪われている。

なお、これらを考えるにあたって上野千鶴子の『ケアの社会学 当事者主権の福祉社会』にあるケアの人権(p.60)を参考にしている。
(1)ケアする権利
(2)ケアされる権利
(3)ケアすることを強制されない権利
(4)ケアされることを強制されない権利


ちなみに、子どもがケアすることを強制されることが問題なら、子どもがケアしないようにすればいいと思いたくなるところだが、必ずしもそう単純な話ではないと思っている。ケアに価値を見出す子どももいるし、ケアそのものは否定されるものではないだろう。

何が問題かというと、子どもがケアすることを強制されていること、つまり、ケアするかしないかを選ぶ自由が存在しないことではないだろうか。ケアをしてもいいし、ほかのことをしてもいいし、という子どもがケアすることを強制されないための支援が必要だと思っている。


ただ、そうした支援がなされて、子どもが子どもの意志で強制されずにヤングケアラーであることを選んだとしても、知識や経験のある大人がするケアとでは負担の大きさが違うだろう。

これは私が自身の経験から実感していることでもある。母へのいまのケアと子どもの頃にしていたケアの負担を比べると、子どもの頃にしていたケアの方が負担は大きいと感じる。

もちろん、母の状態や当時との環境の変化があるので厳密な比較はできない。それでも、大人になってから精神疾患について勉強をしたことで母との関わり方が少しずつわかるようになってきた一方で、子どもの頃は知識や経験がなく、生身で母と関わりぶつかってきたときのことを思い返すと、やはり子どもの頃にするケアの負担はかなり大きい。

ヤングケアラーにはそれ相応の配慮や支援を向けないといけないし、そこには子どもの権利が守られる体制が不可欠だと思う。

参考までにユニセフのサイトにある子どもの権利条約を挙げておく。

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なお、子どもがケアを引き受けなかったとしても、親や祖父母、きょうだいとの依存関係にある子どもはケア役割に巻き込まれやすいだろうし、ケアが家族のなかで閉じず社会に開かれていく必要があるだろう。

ヤングケアラーであるかどうかに関わらず、子どもには子どもの権利があるし、すべての子どもの生活が守られる必要があると思っている。


ちなみに、子どもの頃にするケアの負担がかなり大きいのは確かだが、子どもの頃からケアが続いている大人のケアラーにも負担があることは記しておきたい。大人になり子どものときに比べて知識や経験があったとしても、ケアする側であり続けることへのやりきれなさや、仕事との両立などで思い悩むことがある。18歳以降のケア負担やそこに必要な支援については別の機会に考えたい。

次は、子どもがケアすることを強制されないために必要だと思う視点を提示したい。

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