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自分の機嫌は自分でとるのが大人

先日、

「買い物に行くと、”あ、これ〇さんが好きそう、誕生日プレゼントの為に買っておこう”と思って他人の物ばかり買ってしまう。もっと自分中心に生きていいのにはずなのに」

という呟きを見た。

ご本人から「自分ももっと大切にしてあげたい。余裕がある訳でもないのにお金を使い過ぎてしまう」といった、深刻な悩みなのだと聞いたが、

単純に、「なんて優しい心の持ち主なのだろう…素敵」と思った。

***

私は、プレゼント選びが大の苦手である。その人の喜ぶ物と予算、そしてその何かを実際に見つけられる運命的確率‥プレゼント選びって大変ですよね。(だからこその、冒頭の呟き、「見つけた時に買っておこう」なのか)

そして、その難しさからか、私は基本的に「消えものが一番‥」と思っている節があり、結果的に「ここは無難に」と、お菓子を差し上げる事が多い。

お菓子はいい。アレルギーの有無の確認後、大体の味の好み(甘党?しょっぱいの好き?和菓子?洋菓子?)で大体、好きであろう物が買える。自分が食べた事があるものであったら、私の「お墨付き」があるので安心だ。

私自身も、よく分からないものを頂くのなら、お菓子が欲しい。いや、別に私が食いしん坊だから、という訳ではない。(ではないのか?)

それから、他人にプレゼントを渡す時の、「果たしてこのお方は私の選んだものをお気に召してくださるだろうか…」という、あのソワソワ感も苦手である。出来れば、本当に仲の良い、好みを知り尽くしている人にしかプレゼントを渡したくない。

というのも、「人の好みは分からない」という諦めにも似た感情が、私の中に大きく蔓延っているから。

だって、もし、あまり好きでないものを頂いたとしても、「わぁ!ありがとう!」をする。その「わぁ!」はプレゼントを貰える喜びと、好みの物を貰える喜びのダブルであって欲しい。

ひねくれているのは分かっている。多分、ここまで捻くれているのは、己のモノに対する好みが激しいせいであろう。自分の好みの範囲がこの狭さ(そして好き嫌いの表裏一体感)だから、他人もそうに違いない論。

なにはともあれ、本当にプレゼント選びが苦手だ。

そして、私はふと、自分の母の事を思い出す。

***

母はお中元やお歳暮の時期になると、各々にお送りする分に合わせて、自分用に一つ買っている。美味しそうだったの♡とか、自分へのご褒美!という理由である。

さて、約一年前、クリスマスのチョコレートをパートナーの父親に選びに行った時、同じものを自分達用に買った。様々な味の小さなチョコが箱全面に綺麗に並べられている、見た目も美しくて、一粒食べるだけで幸せになれるやつだ。「自分が食べたいだけじゃん?」と彼に笑われながらも、「うちのお母さんもいつもやってるし」と言い訳をして、クリスマスの日を迎えた。

その日、「これ美味しそうだったから、どうぞ」とパートナーの父親に渡すと、彼はお礼を言って、開け、自分が食べる前に、私に箱を差し出した。

「好きなの取って」

私は、「あぁ」と思った。差し出した彼は知っていたのだ。私がチョコレートが好きな事も、選びながら「これ美味しそう」と思っていた事も。

なんだか、その粋な計らいに戸惑いながらも、遠慮なく一つ頂いた。

プレゼントって不思議である。

あげた人が優しさを貰う事もあるんだな、と。

***

そして、チョコレートもお煎餅もケーキも羊羹も、甘いものならな~んでも好きな母も、幸せのお裾分け上手である。

彼女は、毎年末、「子ども達(私と兄)が今年も一年、幸せだったから」とユニセフに寄付をしている。私達はもう30オーバーであるが、彼女にとって私達って、いつまでたっても子どもなんだな。

自分の機嫌は自分で取れるといい。でもそれを、自分の機嫌を人にお裾分け出来る大人って最高だな、と思った。

こうした大人に出会う時、「私は、まだまだだなぁ」と思う。

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