山の終わり、人生の始まり

「海は向こう側に終わりがないから不安になる。山は終わりがあるから安心するんですよ。」ある芸能人のこんな一言が、10年以上前の一人旅を思い出させた。

 大学を卒業し、小さな会社に就職して1年目の秋だった。知り合いの一人もいない街で、仕事もプライベートもうまくいかず、私は一人、人生の途中で迷子になってしまったような気分で過ごしていた。その時思い立って訪れたのが高知県室戸市の吉良川という、江戸時代の家屋が立ち並ぶ小さな町だった。

 海沿いを走る電車に揺られ、吉良川の駅に降り立ち、情緒溢れる町を散策した。観光シーズンでも3連休でもない、普通の週末に行ったためか、私の他には数組の観光客しかいなかった。おかげで、自分の足音が耳に響くほどに静かな時間を過ごす事ができた。

 さぁ、どうしよう。一人旅は自由だが、小さな町は1時間ちょっともあれば十分堪能できた。また駅に戻ろうか、もう少し遠くに足を伸ばしてみようか。その時私はふと、自分が歩いていた町を振り返り眺めた。

 二つの川に挟まれた町。そのすぐ後ろには山が迫っている。私はそのどこか懐かしい町の全景を見渡すことが出来た。

あぁ、私は今ここにいるんだ。

ここを歩いていたんだ。

そこは、自分が立っている場所が目に見える場所だった。果てしなく広がる海の奥底から、急に救い出されたような感覚だった。呼吸が軽やかで、とても穏やかな気分だった。

 旅から戻って、私は次の人生へと歩みだすことを心に決めた。あの時あの町に行っていなかったら、今、私はここにいない。

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