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全部あの日に置いていく。

最近の密かなマイブームは、フレンチトーストを作ること。いつもの朝ごはんがちょっぴりリッチに感じられるひそやかな喜びのために、私は朝から台所に立つ。

フレンチトーストは程よく焦がすくらいがちょうどいいと思っていて、砂糖とメープルシロップの底なしの甘さとほんのりとした苦みのバランスを大切にしている。材料を混ぜているときから香り立つ甘みにうっとりと酔いしれながら、私の一日はゆっくりと幕を開ける。

自炊の頻度を上げたおかげで、料理に対するハードルが下がった。前まではちょっと面倒なだけでコンビニ弁当に頼っていたのに、ここしばらくはコンビニに足を踏み入れてすらいない。自分の作ったものへの責任感と充足感は、私の生活を確かに変えていった。

それからほんの少しずつ、我が家の片付けを始めることにした。順当に行けばあと半年で去ることになる私の空間。4年間ずっと管理を怠ってきたけれど、そして私の仕業ではない汚れや傷みも数えきれないほどあるけれど、私はここから綺麗さっぱりいなくなりたい、と思ったのだ。

今のところ、この土地にはなんの未練もない。大学がなければこの先訪れることもなかったかもしれない地方の田舎。第二の故郷感覚は多少なりともあるものの、かといってこの地に根をおろして人生を続けていきたいとは不思議と思わなかった。たぶん、最初から4年限りの関係だと割り切ってここへ来たからなのだろう。


私の立つ鳥跡を濁さず計画は、ゆるりと始まった。

数年レベルで積み上げられていた机の隅のお菓子置き場。友達からのお土産もあってもったいなかったけれど、賞味期限切ればかりだったので潔くまとめて捨てた。
前の同居人が置いていってずっと目を逸らし続けていた謎の調味料や材料たちも、一念発起して全部外に出してやった。

冷蔵庫や戸棚がびっくりするほどすっきりして、実は私が相当コンパクトに生活していたということに気がつく。いらないものを視界から遠ざけるだけで、生活の煩雑さがぐっとましになった。一度しか使われなかった余りもののローリエに、使い分けが何もわからない何種類もの胡椒たち。結局、彼らに意味はあったのだろうか。

そう、あと気になっているのは、現像しないまま放置された写ルンですの存在。しばらく前に友人たちと旅行したときの記録が残っているはずなのだけれど、カメラ屋さんに出向くのを渋っているうちにいよいよ気が進まない状況になってしまった。だってあのメンバーで集まることは、おそらく二度とないと思うから。

今更あの頃の思い出を掘り返しても仕方ないけれど、残したはずのものを確認しないまま捨ててしまうのもなんだか寂しくて。それはたぶん、約束の時になっても発掘されないタイムカプセルのようなものだ。だから私はいつかあの写真たちを現像することになるのだろうけれど、そのとき私はあの頃の自分をどう思うのだろう。


こうして過去と向き合い清算する作業は、新たな未来に向けて出発するために必要なことだと思う。古くなった皮を一枚ずつ剥いでいかないと、新しい身体で飛び立つことも難しくなってしまう。そして本当に大切なものだけを手放さずにいれば、私は私としていつまでも生きていられるはずだ。

だから私は振り返るけど、引きずらない。そしてこの地を離れるとき、過去を過去という正しい場所にきちんと置いていくのが、私の小さな目標だ。



(11/24追記)
メディアパルさん企画の #私の暮らしメンテナンス に参加させていただきます。
これだ!と思う記事がちょうどあったのでぶっ込んでしまったのですが、過去記事でも参加可能なのかしら……(だめだったらすみません)。
このテーマで新しいものも書こうと思います!


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