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今日のこととか、将来とか、

夕方の、電気をつけるかつけまいか迷ってしまう時間帯。いつも決まって、なんだか感傷的な気分になってしまう。今日も、夜がやってくる。

記事を書くつもりなんてなかったのに、自転車を停めてアパートの階段を上っているうちに何かが書きたくなってきた。これといった話題ではない、ただ何かが書きたい。それだけの感情で今パソコンの前に座っている。

全国的に大雨の地域が多かった今日、幸いこのあたりの地域は曇りで踏みとどまった。今にもぽつりと降り出してきそうな分厚く不気味な空の下、一番しんどい金曜日の授業をなんとかこなし、彼とうどんを食べてきた。

明日も明後日も明々後日も予定やら締切やらが詰まっていて悲嘆に暮れる私。
それに対して彼のほうは、めんどくさいからとサークルも就活もやっていない。決してずるいだとかサボりだとかは思わない。これは私の意思でやっていることだし。でも、正直ちょっとだけ羨ましい。

めんどくさいのは私もそう。ただ、なんだかんだで焦って手をつけてみて見事に空回りしてしまうのが私、端から潔く手をつけずやりたいと思った時にやるのが彼だ。どちらもいいとは言えないし、悪いとも言えない。

毎回の授業で必死にノートをとっていたのに、哲学のレポートは問題の意味すら理解できずに終わった。出さないレポートよりも出すゴミ精神で提出は済ませたけれど、ただ字数を満たしているだけのゴミ出しをしただけなのでやるせない。そもそも脳みそを働かせる場所から違う気がする、哲学。

去年の夏にバイトを辞めてから無職(いいえ学生です)のままの彼は、この前ようやく新しいバイトに申し込んだというのに落とされたらしい。出鼻を挫かれたおかげで彼は再び働く意欲をなくしてしまった。バイトはもうやらないの?就活はいいの?と遠慮がちに尋ねてみるけれど、返ってくる言葉はいつも同じだ。


なんとなく、ぼんやりと将来の話をすることがある。就職先は二人の地元の近くにしようかなとか、一緒に暮らすのか暮らさないのかとか。けれどそれはいつまで経っても曖昧なイメージにすぎなくて、明るい未来は見えてこない。まるで今日の雲みたいな薄暗い靄がかかっている。

初めてのデートは金沢だった、と思う。その日のことをふとした瞬間に思い出して、「もう2年前なんやね」と感傷に浸った。でも金沢らしいことなんもせんかったな、ハリネズミカフェ行ってロフト行って映画観ただけやん、そういえばあのロフトなくなるらしいな、なんて。

この2年間本当にいろいろあったけれど、この先私たちはどこへ行くんだろう。いったい何をすればいいんだろう。何になれるんだろう。

とにかく今は、目の前にあるものしか見えていない。それをこなしていくしかない。そのうち視界が開けてくるのか、一向に何も見えてこないのかもわからない。とりあえず、もがけるだけもがく。そうするしかないと思う。



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