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Selective Listening

夫の鈍感さにきれて爆発してしまうという60代女性からの相談。

回答者の著述家、湯山玲子さんは、こんなふうに答えている。

「人に自分の気持ちや考えを分からせる」ということは、実は本当に難しい。

というか、もはや分かってもらおうとすること自体をあきらめた方が、人間関係は良好にいくというのが今まで私が生きていた中の実感ですらある。

これを読んだときすぐに思い浮かんだのが、 "selective listening"という言葉だ。「話を全部聞くのではなく(自分にとって)都合のよい情報しか耳にいれない」という意味だ。長じて「話を聞く耳をもたない」人間に対しても使われる。"selective attention""selective hearing" も同じこと。

10年近く州立大学大学院の入試担当者として働いていた。世界各国から集まる志願者への対応は私の業務のひとつであった。この仕事を通したたきこまれたのが”selective listening”という概念だ。

一年を通してありとあらゆる種類の質問が寄せられる。出願期間、出願ステップ、必要書類、支払方法、締切、選考方法、選考日程、教授やそれぞれの研究分野、レファレンスレター、学費と生活費、などなどに関して。ピーク時は、毎日毎日何百通ものメールと格闘していた。

よくある質問にはそれぞれに定型文を作成していた。時間をかけて練った定型文は、質問に対する回答だけでなく、他の重要な情報も網羅したものであった。例えていうなら「きちんと読めば」1の質問に対し、10の回答をさしだすような、そんなものだった。

定型文返信は功を奏し、同一志願者との無駄なメールの行ったり来たりは減少した。しかし、割合としては全体の20%ぐらいだろうか、私が送った定型文返信をあきらかに読まずに、再度質問してくる学生たちがいた。答えはすでに前回の返信で与えられているのに。

入試担当者である自分には慣れ親しんだ情報であっても、志願者にとっては初めて目にする情報だ。しかも英語Nativeでなければ、まず英語の壁があるのかもしれない。私の説明の仕方も悪かったのかなぁ、などと思いつつ、内容的には前回のメールと同じだが、より噛み砕いた表現で説明した返信を送る。

すると、再度、「はっ?もう二度説明してるよね」という質問が返ってくる。いやいや、大学院入試といえば人生の一大事、よっぽど心配だから、何度も確認したいんだろうな。わかったよ、もう一回説明するよ。私はさらに手を変え品を変え、肝の情報を相手に伝えようとする。どうか、今度こそ伝わりますように。

後日、in boxに同志願者の名前を見つける。”Thank you."とだけ返信してくる丁寧な学生も多いので、よしよし、やっとわかってくれたか、などと思いながらメールを開くと… これがまた同じような質問なのだ。「はっ?もう三度説明してるよね」。

こんなことを何百回も繰り返し、私は学んだ。人は"selective listening"する生き物なのだと。 "selective listening"をされた日にゃ、こちらは歯が立たない。どんなに丁寧に分かりやすく、誠意をもって説明を重ねても、相手に届かないときは届かないのだ。

情報だってこうなのだから、「自分の気持ちや考え」を相手に伝える難しさは言わずもがな。"selective listening"は、人生にたくさん散りばめられている「とほほ」のひとつであるに違いない、と思っている。

夫の鈍さにイラつくという60代女性の相談者さん。そのフラストレーションに同情しながらも、私はちょっとうらやましい。

時々の爆発を許してくれる人なんてそうそういない。爆発を繰り返せば、人間関係にひびが入るのが普通。それを、責めるわけでもなく、応戦するでもなく、「どうして怒っているの?」などと言って怒りをかわすあたり、上級テクニックではないか。

彼の「鈍さ」の悪い面だけでなく、(実際にご自分が恩恵にあずかっている)良い面を見るのはどうでしょう?

#COMEMO

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