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最近の女性アイドル歌詞が一人称「僕」な理由

「僕」が一人称の歌詞、多いですよね。
あまりアイドルに詳しくないのですが、それでも耳に入ってくるくらいなので相当多いんじゃないかと思います。

ちょっとググってみたらいろいろと分析されている記事があって、どれもすごく面白い考察をされていました。それら記事によると、AKB系列=秋元康案件?に多いらしいです。

あとBiSHとかもあるみたいでした。アイドル本人が作詞してるパターンもあるでしょうね。どれがどれかは調べてないのでわからないですが。

『本人の気持ち』とかじゃないですよ、というお断り

結論から言うと、アイドルの歌詞の一人称が「僕」なのはすなわち

これは「僕」=「アイドル本人ではない無名の誰か」の、一般論としての恋愛や「気持ち」を歌ったものですよという、制作陣の意思表示だろうと思います。

つまり「※この歌詞は、歌っている本人の経験や欲望・本心とは直接関係ありませんのであしからず」というお断り=エクスキューズを、「僕」を使うことで明言せず一発でリスナーの潜在意識に差し込むことができる。非常にうまいやり口だと思います。

とはいえ「〇〇ちゃん本人の気持ちが投影されているはず!」とファンが考えるのは別に自由ですけどね。作品に対していろんな推察をされるのはアイドル運営としては嬉しいことなんじゃないでしょうか。

私は別に「本人の正直な気持ちでなければならない!」とか言って怒ってるのではなく、音に載せて言葉を紡ぐ芸術なのですから創作でも嘘でもなんでもいいと思います。作品として素敵なものになっていれば。

それに、女性が「僕」を使うことで得られる恩恵は大きいと思います。
主人公が自動的に「無名の誰かさん」になるわけで、「歌い手という個人」の経験やストーリーから離れた歌詞を書きやすくなります。

別に女性シンガーやアイドルが「私」という一人称を使って「創作」のストーリーを歌詞にこめても全く問題ないんですが、それはややもすると「自分の経験談ですか?」「自分の願望ですか?」みたいなしょうもない勘ぐりを生むことになりかねません。
アイドルファンっていかにもそんなこと考えそう・・・(偏見)

そこを一発「僕」で歌うことによって、その曲を聞いた誰しもが「これは歌ってる女の子自身の話ではなく、一般論か、もしくはファンの気持ちを歌っているのかな」と(無意識に)受け止められるわけです。

コンプライアンス + やばいファン + ある程度突っ込んだ歌詞

ではなぜ「アイドル本人の気持ちではないですよ」とわざわざ断らなければならないのか、もう少しそのへんの事情を踏み込んで考えてみます。

その前に・・・かつて秋元康大先生が書いた、激キモな歌詞の楽曲が大ヒットしたのをご存知でしょうか。

歌詞って勝手に貼り付けたりできないのでよかったらググっていただきたいのですが、もう本当にキモいですこの歌は。ちょっとだけ拝借すると

女の子はいつでも MIMIDOSHIMA
お勉強してるのよ AH毎日
友達より早くエッチをしたいけど
キスから先に進めない

こんな歌詞を若い女の子を集めて歌わせてたわけで、今の時代だったら非難轟々、というか、下品すぎて受け入れられないでしょうね。

この歌詞は要するに「おじさんが女の子の気持ちを想像して書いた」ものであり、明らかに、歌っている「おニャン子クラブ」の女の子たち本人の気持ちであるかのように錯覚させようという狙いが透けて見えます。

「気持ちを想像して書いた」はちょっと表現が柔らかすぎましたね。
秋元康は明らかにおニャン子クラブの女の子たちを「劣情を掻き立てるエロいお人形」に仕立てあげようとしています。

おっさんしか読まないスポーツ新聞とかでたまにある「女性目線でのエロい話」が明らかにおっさんが書いた文体であるのと近いです。

この曲とかもすごい。

これらの曲は極端な例ですが、今の時代にこういう「おっさんが想像する女、おっさんが喜ぶ女」を歌う消耗品・お人形としての女性アイドル/シンガーが受け入れられないことは明白ですよね。

プロデューサーのおっさんが歌詞を書こうがアイドルの女の子本人が歌詞を書こうが、とにかく「しょうもないエロ」とか「謎のテーマ設定や企画」(例えばピンクレディーの「UFO」や「ペッパー警部」みたいな)とかはもうあまり求められてなくて、他のジャンルの楽曲同様、恋愛や悩み、人生観といった「人間」として共感できるストーリーをちゃんと歌詞にするようになっているように思います。
たとえそれが「会いたかった」を連呼するだけのライトなものであったとしても、です。

また、現代のアイドルは、日本では特に人数がめちゃくちゃ多いことも関係しているかもしれませんが、とにかく複雑に個性が入り混じった集団になりました。誰がどこでどんな行動をしているかわかりませんし、どこでファンと出くわしたり、変な取材をされるかわかりません。

そして現代は高度に情報化した、何かあればすぐ怒られるし叩かれる時代です。
さほど売れてないのならまだしも「とにかく売る」ことを重視した集団である現代アイドルにとって「問題になりそうな表現」や「変な意味で話題になりそうなセンセーショナルな歌詞」は極力避けたい。
リスクだらけの時代。極端な話、いかれたファンに「あれって僕のことですよね」とか「エッチがしたいって歌ってたじゃない」とか思わせてはならないわけです。

余談ですが「エッチ」っていう表現、くっそキモいですよね。

しかし今や様々な楽曲があふれています。youtubeでいくらでも曲が聴けて、素人でもミュージックビデオを作れる時代です。
そんな中で次々と話題性をつくり、ファンの興味と共感を得続けるにはある程度「突っ込んだ」歌詞表現が必要になってきます。

ちょっと赤裸々だったりダークだったり、悩みや悲しみ、社会への不満、欲望あるいはルサンチマンといった、ちょっと昔ながらのアイドル像よりも突っ込んだ人間味のある、歯ごたえのある歌詞を作らねばならない。

しかし、やはりそれがアイドル「本人」の赤裸々な恋だとか、悩みや悲しみ、社会への不満だと理解されてしまってはいけない。

そこで登場するのが、一文字で「本人の本心の吐露ではない」と示すことができる超便利な一人称「僕」なのだろうと思います。
「主語を曖昧にする」ことができるということです。

そうそうこういうやつ!

とはいえ、他にもいろいろと理由はあると思います

例えば「わたし」より「ぼく」の方が音数が少なく、しかもうまくやれば1音でいける、というのは大きいのではないかと思います。(「Bo-Ku」ではなく「Boc」と発音すれば1音です)
しかも一人称を「僕」にすると、なんとなくつられて二人称は「あなた」ではなく「君」になりますよね。これも音が少なくて使いやすい。
逆に一人称が「私」だと相手は「あなた」になりがちです。
変な話、一人称が「私」で相手が「君」だと、なんか、上司と部下みたいな感じ(笑)
ちなみに「あたい」なら「たい」を二重母音として2音(A-Tai)でいけるんやけどな(笑)

あとまぁ単純に「わたし」という、なんとなく「個人としての女の子」を想定されてしまいがちな一人称が、現在の複雑に個性の入り混じったアイドル像にそぐわなくなってるんでしょうね。

終わりに

私自身そうなんですが、歌詞っていうものはあんまり「自分自身」を込めすぎると、すぐに球切れします。

これまで30曲くらい作詞してると思いますが、そうそう「素敵な思い出」とか「失恋の記憶」とか「社会への不満」とか、【オリジナルの感情】ってもう無いわけですよ(笑)
なんとなくいつも同じようなことを言っている気がしてきます。

ドンドン曲をつくって発表していかなければならない現代音楽市場ですから、「主人公」は「わかんないけどその辺にいそうな誰か」にしておくのが最適解なんでしょうね。

ちょっと無責任なようですが、この方法ならどんどん作品を生み出せるわけで、なかなかすごい発明なんじゃないかと思います。

でもまぁ、「音楽なんて消耗品だ」と言われてるような感じがして、ちょっと寂しいですね。

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