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自己肯定感の低い私が、娘の自己肯定感を育てるためにやっていること

姉妹の末っ子として育った私はなにかと姉と比べられることが多かった。

1歳になる前からしっかり話し始め、絵を描くのが得意で、学業もそこそこいい成績の姉と、そのどれもが並もしくは少し下で得意なものといえば折り紙とあやとりだった私。

当然のことながら褒められる回数は多くなかった。

そもそも自己肯定感とは?

自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり[1]、自尊心(英語: self-esteem)、自己存在感、自己効力感(英語: self-efficacy)、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である[2][3][4][5]。>Wikipediaより

つまり、自分の存在意義を理由もなく、無条件で見出せていることだと私は解釈している。

反対に言えば、勉強ができるから自分を肯定できたり、他の人から好きと言われるから自分を肯定できるのは自己肯定感とは異なる。

後付けできない自己肯定感

自己肯定感が育つのは幼少期と言われている。

いかに小さい頃は周りから愛情を〝感じる〟ことができるか、が私は大事だと思っている。

感じる、ということに重きを置いたのには理由がある。少し昔まで日本では親子が友達のような仲でいることや、ボディタッチでスキンシップを多く取ることがあまり良しとされていなかったため、親からの気持ちが伝わる機会が今よりも少なかったように思う。

抱き癖がつくから抱っこはしないなどもよく聞いた話だ。

愛情があっても、子供に伝わっていなければ、子供にとっては愛情がないのと同じなのではないだろうか。

私は自分の家庭を持つまで半ば本気で自分が死んでも誰も悲しまないよなと思っていたし、特に人から秀でるものがない私は生きていて意味があるのかと思うこともよくあった。

自己肯定感が低いと、ただ生きているだけでいいという発想はなく、死に対しても抵抗が少なくなるのである。

私は娘にそうなってほしくない。

娘には「自分は生きているだけでいい」と思ってほしい。だから最大限娘に愛情を感じてもらえるようにしようと思って今子育てをしている。

毎日寝る前に伝えること​

毎日寝かしつけは私なのだが、いつも今日あったいいことや、娘がやっていてすごいと思ったことを話すようにしている。

例えば「今日はいっぱい絵を描いたね。上手にトトロが描けたね」「たくさんご飯食べられたね」「一人で上手に靴下脱げたね」など、他人から見ればたわいもないことかもしれないが、私にとって娘が頑張ってやっていることはこの上なく嬉しいことなのでどんな小さなことも思い出して褒めている。

晩に褒めるために娘を観察しようとする機会にもなってとても良い。

そして、大好きは日中も言うが寝る前には必ずぎゅーっとして大好きを伝える。

ボディタッチは安心感を与えると思っているから、これは娘に嫌がられるまで続けるつもりだ。

そして、私だけでなく例えば夫や祖父母やみんなが娘のことを好きであることも伝えている。

愛されていると言う実感が多くの人からもらえればもらえるほど、自分を大切にしてくれると信じている。

2歳の娘のいま

まだ2歳なので自己肯定感が根付いているかどうかは定かでないが、外に出ている時に色んな人に話しかけられてもにこにこして嬉しそうだし、なんなら昨日も自分からお店の店員さんに話しかけていたので、私の幼少期のように人の様子を伺って母の後ろに隠れるタイプにはなっていないようだ。

自己肯定感がしっかり育っているかどうかはもっと大人にならないとわからないが、自分の存在意義を自分の中にしっかりと持って、他人から何を言われようが生きていていい、大事な存在であるということを忘れずにいてほしい。

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