怒ってしつけるのも褒めて誘導するのも目的地が同じなら私は…
小さい頃私は人見知りだった。
母と出かけている時に近所の人に会うと足の後ろに隠れるのだが「〝こんにちは〟は?」と言われるのがとてもプレッシャーだった。そして言わないとちゃんと挨拶しなさいと言われるのがまた更に嫌だった。
私には4つ上の姉がいるのだが、箸の持ち方でよく怒られているのを真横で見ていた。
言葉だけで怒られていることもあれば、叩かれて怒られていることもあって、私はちゃんとしないと叩かれる、怖いからちゃんとしなくちゃと思っていた。
2歳前に鉛筆持ちを習得した娘
1歳4ヶ月頃から絵を描くことに夢中になり出した娘が、ある日偶然えんぴつ持ちをした。
反射的に「すごい!上手に持てるね!」と褒めていたのだが、その偶然に出会うたびに褒めていると娘はいつのまにかあっさりと鉛筆持ちを習得し、今では何も言わなくても上手く持つことができるようになった。
そして鉛筆持ちができるようになったところから、今度はお箸も興味を持った時に渡してみて、上手くできた時にはたくさん褒め、今ではだんだんお箸も持てるようになってきている。
偶然から教えるイルカのトレーニング
話が飛ぶのだが私は小さい頃イルカのトレーナーになりたかった。
言葉が通じないイルカにどうやってジャンプや鳴き声を指示でできるように教えているのか気になって調べていたら「偶然できた時にご褒美としてお魚をあげて、たくさん褒める」と知った。
娘にも言葉があまり理解できない歳から、このやり方ならわかってもらえるのではないかと思ったのだ。
その都度おやつなどをあげてはキリがないので、ぎゅーっと抱きしめたり拍手をしたり、ともかくすごいぞ!という思いをたくさん伝えることにした。
娘は褒めるたびにとても嬉しそうに、得意げに、こちらを見てはにこにこしてくれるので私も嬉しい。
怒られたくなくてやるのか、褒められたくてやるのか
私は〝怒られたくないから〟言われるがまましつけられたように動いた。だからできるようになってもマイナスがゼロになるだけで別に褒められるようなことをしたわけではないという意識だった。
しかし私は怒られることに怯えながら習得させるのはあまり心理的に良くないと思っている。
例えば親の見えない場所で、怒られないんだからとそのしつけを無視するようになる可能性も大いにあるからだ。
現に私は親が出かけている時正座してご飯を食べなかったし、わざとだらしない生活をすることに憧れていた。
自分の様にはなってほしくないので、娘には褒めてしつけをしている。
褒めるというのはできないことがゼロで、できるようになったら万々歳なので、娘にマイナスの感情が湧き起こることはない。
私が娘を叱る時は、人に痛い思いや不快な思いをさせたり、娘自身に危険が及びそうなことがある時だ。
唯一の弊害
デメリットはほぼないと思うのだが、できた時にねぇ!見て!とその周りにいる人みんなの注目を集めようとすることぐらいだろうか。
とはいえ、祖母の家などで親族にまでそういうのはしなかったので、なんとなく場は弁えている気がするし、ここは様子を見ていこうと思っている。
これから教えることはまだまだたくさんあるだろう。でもこのスタンスはずっと貫いていこうと決めている。娘にはなるべく負の感情を動機に動くことを覚えてほしくない。
たくさん褒められて、たくさん嬉しい思いをして育って欲しいと願っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?