アートボード_1-80

ホモ属に気付かされた天秤と距離

自分と他者を比べる時、最近(やっと)気がついた、考え方の癖の話。

先ず他者と自分を比べる事自体がどうなのよって話かもしれないが、例えば自分が理想とする考えや行動をとっている人がいたりすると、その人の行いに心が躍り、自分もそうありたいと強く思う性格らしい。
もちろん、憧れの存在そのものになれるなんて、これっぽっちも思っていないけど、やっぱり憧れなだけあって近づきたいし、目標として目指したい。
目指すからには先ず自分がどこに居るのかを把握する必要があるので、そんな時僕は、憧れの存在(他者)と自分の”今”とを比べて、自分の場所を計る。
その計る時に、僕の場合は大分偏った癖があるようだ。

天秤で量る事の苦しさ

その"癖"と言うのは、自分と他者を、所謂天秤で比較してしまう事だった。
天秤で量ると言うことは、どちらが重いか軽いかの差をはっきり比べる事になるのだが、他者と自分に当てはめると、片方に憧れの存在を、もう片方に自分をのせて比べた時に、憧れの存在が重すぎて、比べた瞬間、軽い自分という存在が吹き飛ぶと言う様な事が思考の中で起こっていた。
どんな感じかと言うと、
「お、めちゃくちゃカッコいい仕事!」
「俺もこんな風になりたいなぁ...」
(天秤にのせる)
(自分吹っ飛ぶ)
「うぉぉぉおおおおおあぁぁぁぁぁ!!!!」

と言う感じになる。
あまりの差に比べた事がバカバカしく、劣等感、焦り、自分への怒りがグルグルと頭を巡り、最終的に寂しい気持ちになって落ち込んで終わる。
そう言う事を無意識の内に何度も繰り返していた。

ホモ属のおかげで天秤で量っちゃダメって気付いた

大分前にBOOKOFFで購入したサピエンス全史をようやく読み始めた。その最初の方の、ホモ・サピエンスが世界征服をした際に途絶えた他のホモ属との「交雑説」と「交代説」部分を読んでいて、交代説が有力だったのが、2010年頃に、完璧ではなくちょっと混ざったりしているってわかった時に、白黒ハッキリしていると言うよりも、ちょっと混ざったり曖昧な部分ってあるよなってぼやっと頭に浮かんだ。
そして何故か突然、自分が自身と他の何かを比べる時「天秤にのせて量ってる」と言う事に気が付いた。
特にきっかけもないし、あるとしらたホモ属の足取りを想像している内に、その壮大な旅と自分を無意識に比較して、天秤に乗せきれない程のスケール感だったからなのかもしれない。
(そうだとしたらマジでありがとうご先祖様)

これは当たり前の事(本当に当たり前の事)なのだけど、仕事でも旅行でも何かを目指すには行程が必要であって、ゴールから逆算して行程やスケジュールを決めて計画し、それを実行に移す。
実際に自分でもその様に仕事をしている。

それと同じ事で、天秤にかけて”一つの点”で量っちゃダメだよねって気がついたと同時に、憧れや理想の姿などの自分が目指す未来まで”道”が繋がっているイメージで、その道のどの辺にいるのか、何処を通ればいいかと言う、距離を測るべきなのだと気がついた。
30年以上人生やってきてやっと。

ホモ属が長い道程を旅した様に、自分の道を進もう

判ればびっくりするぐらい当たり前の事なのだが、意外と自分が無意識で行ってしまう思考は、性格なども影響するのか、なかなか気がつけなかった。
でもこれから少しはマシな気持ちで、歩みを進める事が出来るかもしれないなと思っている。
遥か昔にご先祖様が、森や山や川や海を通って、増えたり減ったり混ざったりしながら進んだ様に、一歩一歩、距離を確認しながら進んでいこう。


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