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私にとってのSDGs

私にはここ数年、頭から離れない妄執がある。それは「生きる」とは「殺す」ことであると言う事だ。
私にとって世界とは元々シンプルなもので、そこに人間のシステムやらお互いの関係やら言語やらが積み重なって複雑化しているように見えているもので、実際の所、人間種と言う動物が道具を作っているに過ぎない。

私は「地球に優しい」という言葉も同様に嫌いだった。地球に優しいと上から目線でものを言うが、地球は人間に優しくない。
自然とは愛すべきものでは無く、加工して、つまり「殺して」人間の使い易い形に整えなければならない。

さりとて愛すべき自然を破壊した所で地球は痛くも痒くもない。ただの気候変動でまた新しい自然が生まれたに過ぎないのだ。

だから、地球に優しいのでは無く、これからの人類に優しいと言って欲しい。これもシンプルな混沌とした世界を人間が妙な理屈を捏ねて問題に仕立て上げている。

ある面白い研究がある。氷河の中の過去の二酸化炭素濃度を調べた所、地球の気温ががある男によって引き下げられたのだ。
まさにエコの王、地球に優しい伝説の人間だ。
その男の名前はチンギス・ハン。

仕組みはこうだ。チンギス・ハンはモンゴル帝国をユーラシア大陸全土に渡って築き上げた。
その過程で2000万人以上の農民や市民が死亡したのだ。
当時農耕地だった田畑は荒廃し森に戻った。その結果としてCO2が削減されて、エコな時代がやってきたのだ。

NASAの試算では60年後には人類の30%が地球上の資源から溢れると言う。
チャップリンが生きていた頃の恵み豊かな大地は既に失われていたのだ。

だが、私は人類も負けているとは考えていない。人類も自然に打ち勝つ強い力を手に入れたのである。
それが過熱した競争社会である。過熱した競争社会により、労働者は「自分の時間」を殺して賃金を手に入れて生き延びている。そして更に労働者から「時間」を奪い取る動きは加速している。

より効率化を図った社会循環と大量に溢れた情報社会は人間を磨り潰して血液のように循環させる。
そして隷属を求め、盲信的な大衆を作り上げたのだ。

そして同時に経済の成長は停滞して行く。停滞した経済からは弱者が振り捨てられて、衰退が始まる。
私は義務教育現場に長年携わる教師から興味深い話を聞いた。
「過酷な環境により教員になる人間の神聖は失われ、生徒は堕落している。学校以外で充分な教育を受ける事のできる家庭環境の子供達とそれ以外の子供達の格差は開いている。」

これらの格差は我々大人の皺寄せを次の世代が受けているのだ。弱者を徹底的に排斥するため、福祉機能が不全となっている。

そして生活保護制度は充分に拡充せず、社会福祉費は削減に次ぐ削減。
とうとう老後すらも所得格差が大きく生まれる時代に突入したのだ。

私はこれらの人間種による緩慢な殺し合いをマクロアポトーシスと呼ぶ。
お互いを保護するはずの社会団体である国家はもはや自己責任という責任転嫁によって弱者を効率よく排斥する機関となった。

しかしこのアポトーシスですら間に合わないと考えた人類は運良くコロナウイルスに出会った。これにより血流として流れるはずの人々を固着し経済活動を縮小させたのだ。

人類は自らを衰退させる事により生存する道を選んだ。

競争社会が過熱するともう一つの機能が発動しやすくなる。
戦争経済である。戦争は国家同士がお互いの人材資材を大量に投入して損耗しあい、利権を奪い取ると言う行為であり、全ての人類は戦争地に置いては直接殺人を一時的に許可される。
勿論人類の狙いは損耗による人口削減だけでは無い。
戦争は運送、兵站、開発、製造の全てが詰まったいわばロケットの様な経済加速装置だ。

人類の選んだ停滞によって多くの国家首脳がこの加速装置にどうにか乗り込めないかソワソワしている。

我々人類の将来は心配要らない。地球が住めなくなる前に、子供達の成長を妨げ、大人達から時間を奪い、社会的弱者を徹底的に排斥することで人類は生き延びることができる。

更に、万が一それらの機能が停滞したとしても我々には戦争というロケットが待っている。
人類の未来に栄光あれ!

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