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【美術展2024#36】鈴木敏夫とジブリ展@横須賀美術館

会期:2024年3月20日(水)〜6月18日(水)

高畑勲・宮﨑駿両監督と共に、世界を代表する数々のアニメーション映画を世に送り出してきたスタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫。
本展では、戦後の名古屋で育ち昭和・平成・令和の時代を駆け続けている鈴木敏夫氏が出会った多くの映画作品、書籍と、それを通して見えてくる時代背景に注目しました。
子供時代から読んできた漫画や小説、青春時代を経て、社会に出てから今もなお旺盛な好奇⼼で読み続けている歴史本やノンフィクション、評論本などを通し、鈴木氏が、その作品や作家からどんな影響を受け、自身の思考術へとつなげていったのか。そしてどのように作り手と向き合い、編集者・プロデューサーとしてスタジオジブリ映画を確立していったのか、この答を鈴木敏夫氏の血肉となった8,800冊の書籍や約10,000本の映画作品を通じて探ります。
特に、鈴木氏が幼少期と激動の時代に「体験」した数多くの映画作品をぎっしり集めた空間は、必見!
その他にも、貴重な資料や企画書をはじめ、立体造型物などを多数展示予定。

展覧会公式サイト


横須賀まで車で足を伸ばして「驚異の細密表現展」を見に行ったのだが、美術館が近づくと人が増えてきて何やら賑わっている。
普段美術館で出会わないような雰囲気の方々がなぜこんな辺鄙な場所にある美術館に?と思ったら、ジブリ系の企画も同時開催されていた。

ほほう知らなかった。

すみません、私こちらの地味な方の展覧会なんです、ええ申し訳ないという感じでへいこらしながら平身低頭で「じゃない方の企画展」へ。

「じゃない方展」を終え、さて帰ろうかと思っていたら係の方に「今ならジブリ展、枠に空きがありますよ〜」と声をかけていただいた(ジブリ展は事前予約制だった)。

実は私、ジブリ映画は初期の数作品しか見ておらず、ナウシカやラピュタは好きだが、…まあその程度の知識しかないため特に強い思い入れもない。
だが、せっかく横須賀まで来たのだからとりあえず見ていくか、と軽い気持ちで入場。

ここから先は写真撮影禁止

結果、とても面白かった。

テレビ局がらみのよくある宣伝系ブロックバスター企画なのかと思っていたら、昭和〜平成アニメ史や、アニメーターやクリエイターの苦悩みたいなものがとても丁寧に作り込まれており、貴重な史料も多数展示されていて、ほうほうと見入ってしまった。

鈴木氏が育った昭和の部屋の再現や影響を受けた本などの解説は昭和好きな私にとって強く興味を引くものだったし、私自身が幼少期に多少なりとも影響を受けた様々な(ジブリも含めた)アニメたちの裏側に隠された試行錯誤のストーリーや産みの苦しみを知り、もう一度大人目線でそれらを見てみたくなった。
この辺りの展示は写真撮影禁止だったので写真はないのだがとても見せ方の上手い展示方法だった。


後半は写真撮影可。
書斎再現コーナーには手塚治虫漫画全集も並ぶ。
特徴的なこの白黒の殺風景な背表紙は表紙の額縁デザインと相まってなんだか葬式みたいで怖いなあと幼少期から思っていた。
ワンポイントの赤がとどめを刺すようにまた怖い。
それらが理由でしばらくとっつきにくかったのだが、小学校高学年くらいになって読んでみたら面白くてどハマりし、図書館で借りたりしてほぼ読破した。

《手塚治虫漫画全集》

藤子不二雄は小さい頃から好きだったが、小学校高学年時に遅ればせながら手塚治虫をちゃんと知って以降、「火の鳥」は「まんが道」と並んで私のバイブル漫画のひとつとなる。
手塚治虫が亡くなった翌年の1990年に東京国立近代美術館追悼展が行われたが、それが私の物心ついてから初めて自分の意思で行った美術館体験だ。
当時中2だった。懐かしい。

鈴木氏はインプットの量がとにかく半端なく、あの世界観はこれらの中からのほんの一部なのだなと思うと、それこそ「まんが道」の作中で主人公の二人が手塚治虫の元を訪ねた時に、400ページの漫画を描くために1000ページを描いていることを知り衝撃を受けた、というエピソードが頭に浮かんだ。


ロボコンは鈴木氏が25,6歳くらいの頃の放映なので時代的な整合性に違和感が。
雰囲気作りで置かれているだけか、それともなんらかの資料として実際にコレクションしていた物か。


寺山修司は当時のサブカル系文化人の象徴的存在としてこの手の企画時には必ず名前が上がる。
世代がだいぶ異なるため私にとっては直接的な影響はほとんどないはずだが、間接的にはやっぱり多大な影響を受けているのだろうな。


公式図録4,620円

この手の図録としてはなかなかに高かったが、行った展覧会の図録は基本買うことを信条としている私としては買わざるを得なかった。
(サイン入りとかだったらもっと納得して購入できたのだが…モゴモゴ)


敷地の外れにひっそりと佇む小道。

これ実は若林奮の作品なのだがそれを知っている人は今日ここを通った人の中で何人いるだろうか。
そもそも若林奮を知っている人が何人いるだろうか。

《VALLEYS Second Stage》


昨年、ここ横須賀美術館で「令和5年度第2期所蔵品展 特集:没後20年 若林奮」が行われた。
そこでは2006年に設置されたこの作品の制作プランやドローイング、ここに設置されることになった経緯などが丁寧に展示されていた。

展覧会チラシ裏

設置当時の写真と比べると周辺環境にかなりの変化が窺えるが、時を経て木々に浸食されていきながらもその存在感は損なわれることなく、むしろ風景も作品の一部に取り込んでいくような力強さを見て、カンボジアのアンコール遺跡タ・プロームを思い出した。

しかし氏が亡くなったのがもう20年以上も前だなんて時の経つのは本当に早い。

そんなことを思いながら、この小道を抜け美術館を後にした。

我が家の李禹煥(左)と若林奮(右)



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