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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第8話 カンボジア

2004年4月15日 旅立ちから、現在 103 日目

タイ南部の島から首都バンコクに戻り、次に行く場所を検討した。

インドシナ半島諸国には学生時代に一通り行ったことがあったのだが、どこもそれぞれ違った魅力がありもう一度訪れたいと思っていた。
その内のひとつであるカンボジアは、私が旅を始めた学生時代にタイに続いて2ヵ国目に行った国だった。

長く内戦が続いたカンボジアでは、1990年代前半にUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)がPKO活動を行い治安は回復しつつあったが、まだ私が初めてこの国に行った当時は、独裁者ポル・ポトが死去してから数年しか経っておらず、夜間は絶対に宿から出るなときつく言われていた。
事実、夜間には町中で銃声が響いていたし、郊外ではトラックや船が襲撃されたといった話はよく耳にした。
町には多くの銃が出回り、タイ国境に近い西部にはまだポル・ポト派の残党が多く潜んでいた。
警官ですら夜間には強盗と化すと言われており、彼らは合法的に銃を持っている分タチが悪いので、町中で警官を見かけても絶対に目を合わせるな、といった話もまことしやかに囁かれていたほどの不安定な治安情勢だった。

内戦の傷跡は至る所で目にした。
崩れたまま放置されている建物や、地雷の被害に遭い片足が無い人も多く見かけた。

トゥールスレン博物館 忘れてはならないカンボジアのもう一つの歴史

カンボジアには内戦時に埋められた数百万個という数の地雷が未だに放置されたままになっている。
一度埋められた地雷は、時が経ってもその威力を半永久的に保持しているため、今でも誤って踏んで被害に遭ってしまう民間人が後を絶たないという。
除去作業も行われてはいるが、少人数の専門家の手作業で行われるためなかなか進まず、除去がまだ済んでいないエリアには鉄条網が敷かれ、ドクロが描かれた赤い看板が立てられていた。
郊外で少しでも幹線道路を外れると突然目の前にその赤い看板が現れたりして、冷や汗をかくことが何回もあった。

郊外の赤土の道

しかし、多くの旅人から、カンボジアは変わった、昔の面影は無いという話を耳にした。
実際に現地に行ってみると確かに僅か数年間でカンボジアの治安は劇的に回復しており、以前の殺伐とした緊張感のある雰囲気はほとんど感じなかった。
首都プノンペンにはそれまで無かった新しいビルやきれいな店が立ち並び、赤土のままのデコボコ道だった幹線道路もきれいに舗装されるなど町は近代化の真っ最中だった。

舗装された幹線道路


だが、相変わらず親切な人たち、子どもたちの笑顔、東南アジアの騒がしい町角の風景、緑の地平線、大きな青空、真っ赤な夕日などは何も変わらず以前のままだったので安心した。

近代化著しいとはいえこんな感じの街角がまだ多勢


首都プノンペンから船に乗ってトンレサップ川を遡り、東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖の北西部の畔にある港を目指した。
その港から陸に上がり20kmほど北に行った辺りに、シェムリアップという町がある。
シェムリアップはアンコール遺跡群へのアクセス拠点となる町だった。

世界的に有名なこのアンコール遺跡群は、9~15世紀にこの地に栄えた王朝の壮大な遺跡群で、広大な範囲の中に大小100以上の建築物が点在しており、世界文化遺産にも登録されている。
シェムリアップからバイクに乗り10kmほど北上するとその遺跡群を代表する寺院であるアンコールワットが密林の中から突如姿を現す。
学生時代、初めてこの寺院の前に立ったとき、それまで本の中の写真でしか見たことのなかったこの巨大遺跡が自分の目の前にあるのが信じられずに本当に感動した。

その時から数年が経ち、久しぶりに訪れたアンコールワットだが、やはり以前と変わらず途方もなくすごかった。

そして密林の中に数百年前から威風堂々とそびえ立ち、今もなお圧倒的な存在感を放っているこの巨大遺跡自体もさることながら、これほどの建造物を人力で作ってしまうことのできる人間の想像力や技術力というものはやはりとてつもないなと、改めて深く感動したのだった。

アンコールワットに昇る朝日
表参道から寺院を望む
離れた丘から 映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」でも印象的な風景


続く
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