とんだバースデー
全くもって、盛り上がらずに終わるかと思われた今年の誕生日。ちょっと、いや、かなり違うベクトルでの大盛り上がりを見せ、一年に一度のスペシャルデーは幕を閉じた。
結論から言うと、子どもたちは完全に、母の誕生日を忘れていた。当日の朝、何も言わずに学校へと出かけていった兄の背中が物語っていた。あー、ショック。夫よ、根回ししておいてくれよ。そんな夫も、このなんとも言えない、悪い空気から逃げ去るように出勤していった。そうして、ひとり残された弟に、「今日、お母さんの誕生日だって知ってた?」と聞いてみる。
「わかってるよー。ぼくからのプレゼントは、あとでのおたのしみだよ」。
この「わかってるよー」の言い方。わかってなかったけど、わかったフリをするときのヤツだ。悲しいかな、あなたもお忘れになっていたのね。
「プレゼントなんだろう、楽しみだなぁ」。
「ふふふー、つくるものじゃないんだよなー。あとでねー」。
水曜日、幼稚園は午前保育。雨が降り続き、いつもの公園遊びもナシ。自宅にてふたりで昼食を済ませると、弟はせっせと何かを作り始めた。
「プレゼントはね、さいしょからできあがっているものなんだよ!よるのおたのしみですよー!」。
「ありがたいことだよー。えー!ってなっちゃうよー。いままでいちどもあげたことのないものだから、わかんないだろうなぁ」。
「へー、何作ってるの?」
「いまつくっているものは、よるまでおしえません!」
(意外と口堅いな)
「ぼくがおかあさんにあげる、いちばんごうかなものだよ。このプレゼントはだいじにしてもらわないといけないなー」。
(忘れてたくせに、随分と自信あるな)
「ヒントはひもです!おみせやさんごっこでつかうものでーす」。
(お、ついに言ってしまったな)
コピー用紙を切ったり貼ったりして製作しているものに目を落とし、ヒントに照らし合わせる。あれ、これはもしかして。
幼稚園のおみせやさんごっこでは、子どもたちは手作りの紙のお金をやりとりして買い物を行う。その紙のお金を入れる、これまた紙のお財布があるのだが、どうもそれに形が似ているのである。弟は私に、お金をプレゼントしようとしているのではないか。
ルンルン気分で財布を作りあげた弟。今度は子ども部屋のすみっこで、何やらジャラジャラとやり始めた。どうやら貯金箱を開けているようだ。
「おかあさん、いまなにかのおとがきこえなかった?」。
「ううん、聞こえなかったよ」
「そっか!」
満面の笑みで答える弟。これで母の誕生日を忘れた事実は、帳消しにできると踏んだに違いない。はぁ。プレゼントにお金はいかん。これはさすがに指摘せねばなるまい。
その頃には、早帰りだった兄も帰ってきた。弟がせっせと工作をしている脇で、悠々自適に過ごし始めた。
「今日、お母さんの誕生日なの覚えてる?」
「あぁー、今日だったかー。忘れてたなー。でも今日はこれから勉強するから、プレゼント買いにいくヒマないなー」。
すっとぼけてるし、詫びもない。なんだよ。
「お母さんは悲しいよ、みんなに誕生日を忘れられて。それにプレゼントがほしいわけじゃなくて、一年間、元気に過ごせて良かったねってことをお祝いしてほしかっただけだよ。なのに、誰もおめでとうって言ってくれないのは悲しすぎるよ」。
兄はバツが悪そうにしていたが、それでも何も言わなかった。弟は陽気にしていた。自分はあとでお祝いする準備が整っているからだ。
夜になり、弟がプレゼントを渡してきた。何も知らないフリをして財布のふたを開けると、やっぱりあった。10円。そして手紙。そこには「おかあさん、おたんじょうびおめでとう」と書かれていた。
「ぼくがくちでいわなかったのは、てがみにかいていたからなんだよー」。
すべてのつじつまを合わせにきたしたたかさに、カチンときてしまった。お金をプレゼントしてはいけないこと、誕生日を忘れたのをごまかすのは悲しいということ。全部ひっくるめて、少々語気を強めながら話をした。
弟は泣き出した。めずらしく大声を上げて泣いた。
しばらく放っておいたのちに近寄ると、「おかあさん、おたんじょうびおめでとう…」とつぶやき、自分が同じことをされたら悲しいと、泣きながら謝ってきた。これだけのやりとりで、ここまで理解してくれたことに心底驚いた。おチビだった弟もまもなく6歳。こんなに感受性が育っていたなんて。
「おめでとうと言ってくれてありがとう。お母さんの気持ち、わかってくれてうれしいよ」。
そう慰めると、私の腕の中で、弟は眠ってしまった。泣きすぎて、疲れてしまったのだろう。なんだかえらいことになってしまったな。
さて、残るはもうひとりの方。むしろここからが修羅の始まりだった。
つづく
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