どんなときも、子どもの保育環境は私たちが守る

幼稚園の保護者会はいつも、先生方のパートと、保護者のパートの2部構成で執り行われている。今年度は対面型の保護者会は一度きり、しかも分散で行っていたので、保護者パートは端折られてきた。だが、そろそろ今年度の園への寄付金額を決定する時期。金銭が絡むだけに、書面だけでは済ませづらい。そこで今朝、今年度初の保護者パートの保護者会(わかりづらいな…)が開かれた。

開催のウラ事情等に詳しい理由は、昨年、保護者会の会長を務めていたからである。現会長の推薦人は、何を隠そう私なので、現会長主催の初めての保護者会が無事に終了しますようにと、祈る思いで会に参加した。

例年なら、秋に大々的にバザーを開催し、そこでの利益を全額園に寄付する。10月はコロナが落ち着いていたので、せめて子どもたちが買い物を楽しめる催しを、との思いから、手作り品中心の小規模バザーを開催した。売上から捻出できた寄付金額は6万円程度。例年は50万円以上あるので、平年並みからは程遠い。

バザーは、何十年も行われてきた伝統ある行事だ。園も毎年同程度の寄付金が入ることを承知している。その寄付金で、保育に直接関わる物品を購入することを通例としており、子どもたちが毎日使う机や椅子や遊具、古くなったモンテッソーリ教具の買い替えに使われている(モンテッソーリ教具は自然素材で作られており、海外から取り寄せねばならないものなど、全体的に高価である)。

売上から経費と次年度準備金を差っ引いて、50万円以上を捻出する大イベント。準備は手間と時間がかかる。全保護者を動かすので、オペレーション側の負担も大きい。準備期間も長く、全保護者が相応の時間を拘束されながら関わることになる。ボヤキが入る人もいるが、大多数は子どもの保育環境の向上を目標に、一丸となってがんばろうと取り組んでいるものだ。

今年は、その旗印を掲げることができなかった。ささやかでも、子どもたちが喜ぶイベントを開催できただけで十分だと思うが、寄付金集めの観点においては、厳しい結果である。さらに園では、消毒やマスク、食事中のパーテーションなど、消耗品への出費が嵩んでいるという。

昨年、園舎を増改築し、先生の数を増やして延長保育の時間数が増えた。それは建築費の補填のためであるというのは、会長時代に園長から聞いた話だ。そこに訪れたコロナの波。延長保育を通常通り実施できず、通常保育もままならない中、苦しい心持ちでいたのは保護者だけでなく、園も同様であったのだ。

現会長より、保護者会費から30万円を捻出し、6万円を合わせた36万円を寄付金としたい、という旨が提案された。年度始めに例年通り回収した保護者会費と、繰越金を当てることへの承認を得たいとのこと。群衆に向けて一方的に話し、承認を得るというのは、結構緊張するんだよね。「承認いただける方は、拍手を…」くらいで、フライング気味に大きく手を叩いた。皆も追随し、拍手のボリュームはバッチリ。議題は無事に可決された。

話はさらに続く。保護者会費からの捻出は30万円が限界。しかし、例年の寄付金額からは大きく下回っている。活動や行事が少ないにも関わらず、保護者会費を例年通り回収した手前、これ以上、一律で寄付金を募ることはできない。そこで、一口千円の募金箱を設置するとの提案が出た。入れるも入れないも、口数も自由。確かにこれは妙案かも。あと10万円程度上乗せできれば万々歳。5万円でも御の字。この方法で見込めそうだ。

「承認いただける方は、拍手を…」で、またフライングしようと思ったら、別の人が先に手を叩いていた。すばらしい。私も勇んで手を叩いた。会場は拍手の音で埋め尽くされた。

保育時間数は例年に及んでいないし、給付金があるとはいえども、毎月の保育料は給付金から足が出ている。例年通りの水道光熱費も支払った。休園中のそれらに関しては、幼稚園の経営維持に寄付した側面もある。

コロナの影響は、各家庭によって大きく異なる。会社員の夫は、年収ダウンが見込まれる。私の業務では、外出自粛期間中、管理物件で家賃が払えない方がいて、対応が必要になったりもした。それでも今日明日、生活に困るわけではない。夫も私もありがたいことに、在宅で仕事ができる類の職もある。守りに入りたい気持ちは当然あるが、こういうときこそ相互扶助に考えを持っていきたい。

いつもとちがう春・夏・秋を経て、学んだことは何だろう。現在の科学では如何ともしがたい存在の前で、利己的でいるのは賢明でない。実際、そうした言動が深刻な状況を引き起こし、人々を不安に貶めているように思う。

身を削ることもあるだろう。痛みを伴うこともあるだろう。でも今日、皆で協力し、子どもたちのより良い保育環境を守ろう、園とともに支え合おうとする集団の中に身を置いて、胸が熱くなった。ここには、ただただ子どもたちの豊かな成長を願う、力強い優しさがある。そのためにできること、差し出せることについて議論した時間は、私の心に何か決意を感じさせてくれるような、灯火を照らしてくれた。

親世代の熱い想い。目の前で元気に飛び跳ねる「後世」に伝わっていきますように。

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