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きょうは、よかったかにっき

弟は文字を書く作業が好きで、小さいころから余ったノートやメモに、気になる単語や文章をつらつらと書くことがあった。

だが、小学生になって以来、授業や宿題で字を存分に書いているせいか、ピタッとやらなくなってしまった。

それを特に気にはしていなかったのだが、先日、リビングのクッションの上に突如現れた折り紙のメモを見て、「久々に復活?」と思ったのであった。

題名は、「きょうは、よかったかにっき」

おや、日記ですか。

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表紙の下に「ぼくよう」と書かれていて、「ぼく以外は開けるな」という意味である。日記だしね。なのに、みんなが使うクッションの上に堂々と置くあたり、まだまだかわいらしいもんだ。

大人の特権を使い、弟が寝た後にこっそり覗いてみる。すると中には、日付とチェックボックスが、1か月分記載されてあった。

これって、今日一日が、良いか悪いかを判定していく日記?!

なんだかイヤな予感がする…。


翌日、大好きなベイブレードが上手く回せず、珍しく癇癪を起こした。

「またダメーー!またダメーー!」

「なんっでうまくいかないんだよーーー!」

大声で叫びながら、ドタドタ向かった先は、リビングのクッション。例の日記を取り、自分の机でコソコソと何かを書いている。

日記が更新されたに違いない。


その夜、再び大人の特権で、夜中に日記を開く。

10/19 「✖️」

でしょうね。

明日は丸が付くといいね、と思いながら、床に着いた。


それから毎日、日記が気になってしょうがない。しかも、いつチェックしているのかわからないほど、弟はさりげなく記入していて、いつ何時の何が日記に影響しているのか、わからないまま数日が過ぎた。

その間、マークはずっと「✖️」。

毎日の総括が「✖️」だなんて、なんだかかわいそうだな。今日こそは今日こそはと祈りながら、毎晩、日記を盗み見るが、一向に「○」がつく気配はない。どんなに祈っても落胆が待っている日記だなんて、縁起が悪いにもほどがある。「○」よ、来い!

そうこうしているうちに、再びむしゃくしゃして癇癪を起こした弟を怒った日があった。怒りながらも脳裏に浮かぶのは、日記に並んだ大量の「✖️」。

これだけ「✖️」が貯まった後の、母のカミナリである。今日の日記は、どうなっちゃうんだろうな。でも日記に迎合した行動をとるのも意味不明だし、わたしゃ、どうすりゃいいんだよ。とほほ。

夜、日記を開いて見ると、

10/26 「✖️」の周りに✖️✖️✖️✖️✖️✖️……✖️の連打。

そして、「さいてい バカの日」

と、書かれていた。

ひぃー!

こんな記録を取って、どういうつもりなのだろう。心が擦り減るだけじゃない。ちょっと怒っただけで、✖️の応酬を受ける私もつらいわ。でも、内緒で見ているから「やめろ」とも言えないし。本当にどうしようもない。

温厚な夫も「こんなのもう気にするな」と言い出したので、「そうだな」と納得することにした。次の日、その次の日は、盗み見はお休みした。

そして、「さいてい バカの日」から、3日が経った昨日。

どうせ安定の「✖️」が並んでるのだろうと思いながらも、ついつい手を伸ばして日記を開いて見ると、なんと、丸がついていたのである。

10/28 「○」

!!!

バンザイ!

就学時健診が行われた日で下校が早く、友だちは皆、我が家からは少し離れた公園で遊んでいた。

だが、私は自宅にいなくてはならず、送迎ができないため、弟は初めて1人で片道20分の公園まで歩いて行き、日が暮れるまでたっぷり遊び尽くしたという日だった。

帰宅後は、疲れたのか大人しくしていて、夕飯をたっぷり食べ、お風呂にゆっくりつかり、バタンと寝る、という最高の一日を過ごしたように思う。

よく食べ、よく遊び、よく寝る、が三拍子揃ったときが幸せ、ってことだったのね。

それを実感できる日がほとんどないというのは、やはり不憫に思ってしまう。学校でも校庭利用に制限がかかっているので、のびのび遊べる時間や場所の縮小が続いているのが現状。子どもたちへの影響は計り知れない。


ホッと肩を撫で下ろしたのも束の間。

お隣に書かれた10/29は「✖️」だった。

えー!?

私が怒ることもなかったし、兄とも仲良く過ごし、家で癇癪を起こすこともなく、平和な1日かと思われたのに…。

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こりゃ、どうしようもないや。


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