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「なぞる強制作業』/極みを迎えつつある“愚”勉強法に

学校で、声高らかに歌われるのは、
型を追うという名目での、『なぞる強制作業』だ。

思考を問うことも、論理や類推を問うこともなく、かと言って知識のつながりを意識させるわけでもなく、ただただ、「このようになぞりなさい、書きなさい」という指導なのである。


ここは頭を動かすことこそ大事だから作業として書くことは求めない、というような別の提示は常になく、センスのないなぞる作業を、一義的に強要する。


これを見させられると、
“どうか、それだけは、頭が悪くなるからやらないでほしい”と、こちらとしては、ただ願うだけのことしか出てこなくなる。


それでもなお、学校というところは、
「みんなで」「和を乱さず」「一斉に」やることが目指されてしまうのである。


プラスでもなく、プラスマイナスゼロでもなく、もはやマイナス効果しかないことが、平然と、指導という名の下で強制実行されていく。


学力および思考力の激しい低下に、義務教育は見事に加担しているようでもある。

やらないほうがよいことを、やらないでおくという選択肢は残されていない。

挙句、これは型なのだから従わねばならないという激しい思い込みが尊重されているようでもある。型の本質とはなんぞや、という問いにはたぶん答えてもらえないだろう。

我々は、今や、隷属した個による隷属的集団に過ぎない。
無思考なまま自立できない個の集まりの振る舞いを和とは呼ばないもの。
先人たちに失礼である。 


無駄もスキも多く、たとえそれをやっても非効率で効果のないものを型と勘違いする行為は、先人たちへの冒涜でしかない。
今や指導する側の「他者を従属させたい」というエゴでしかないのではないか。


和や型というようなものの、本質を深く理解しないまま、いかにも正義らしからぬ風を装うのは、先人たちに対して礼を欠く行為に思えてならない。

そして、「子どもたちにマイナスに作用する」という最悪の事態はますます拡大されていく。


なぞる作業は、昨今発明された、最も非効率で、最も効果のない、史上稀に見る“愚”指導法なのではないかと、まさに目の前で行われるそれをリアルで見ながら、そう思うのです。


(おわり/FB投稿より)


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