見出し画像

固定概念を揺さぶられた

Twitterにハマっていた高校生の時、次のようにツイートしたことがある。

絶対に絡まらないイヤホン開発できたら、個人的にノーベル賞あげちゃう。

高校生だった当時はまだ有線のイヤホンが主流で、無線のイヤホンやヘッドホンは高価で音も悪いという風潮があった。なので、毎日有線のイヤホンを使用していたわけだが、カバンに入れるたびにすぐ絡まってしまう。

普通にスッとカバンにいれたはずなのに、取りだす時にはいつも絡まっていて、毎度ほどいて使うのにウンザリしていた気持ちをツイートしたものだった。その時に素人ながら考えたのは、ケーブルの中に磁石を埋め込み、その反発でケーブル同志も反発しあうという高校生の漠然としたアイディアだった。

いつかはそんな画期的な「絡まらないケーブル」「絡まらないケーブルでできたイヤホン」が生まれると信じていた。


ところが技術や商品開発というモノは私の想像をはるかに超えてきた。有線イヤホンどころか、首掛け式のワイヤレスイヤホンが流行り、さらに今ではAppleのAirPodsに代表されるような完全ワイヤレスイヤホンが主流となった。

私はずっと「絡まないイヤホン」というレベルでモノを考えてきたが、現実では、その想定を超えて、イヤホンからケーブルが無くなった。ケーブルもジャックも無くなって、耳にはめる部分だけが残った。確かにそうだ。その部分さえあれば音を聞くことは十分にできる。

逆に言えば、今まではワイヤレスにする技術やアイディアが無かったからこそ、ケーブルやジャックが存在していたわけだ。耳にはめる部分だけが残ったというよりも、耳にはめる部分以外がそぎ落とされたと考える方が自然かもしれない。

そんなAirPodsを見ていると、そのデザイン性の高さにも心を奪われるが、改めて技術の進化や革新性を感じる。それは例えばクルマで言うならば「空飛ぶクルマ」が現れた時のような感動だ。

今まではイヤホンはケーブルがあるモノ(≒クルマは地面を走るモノ)というような固定概念があったが、昨今のワイヤレスイヤホンには有線のケーブルは無く、今までに無かった革新性を感じさせる。


我々は普段から多くの固定概念を持っている。こうでなければならない、そうであるべきだという思い込みが多くある。だが、それらは実は、無くてもいいもかもしれないし、もっと別の形もあるかもしれないのだ。

良い例かどうかはわからないが、例のウイルスの蔓延は良くも悪くも「働き方」や「生活様式」自体を大きく変えた。仕事はテレワークでいいよね、出勤は時差でもいいよね、無駄な飲み会はいらないよね、などというように生活を大きく変えた。

これらは今でこそ見直しがなされているが、今までは「出社は当たり前」「飲み会への参加は当たり前」という固定概念があったはずだ。それがここ数年でいとも簡単にひっくりかえってしまった。

そう、本当の革新は固定概念すらも超えてくる。正解は思い込みのその先にこそあるのかもしれない。




頂けたサポートは書籍代にさせていただきます( ^^)