見出し画像

偉すぎる先生?

最近見たニュースより。Yahooニュースで見たがそちらは消えていたので元の京都新聞より引用。

要は先生、つまり議員になると、急にとてつもなく偉い人のように扱われるということだ。

議員には、国会議員や市議会議員などあるが、どれも基本的には選挙に出て、そこで選ばれた国民や市民の代表、民意の代弁者という存在である。本来であれば、より良い国や街づくりを、多くの人の声を聞きながら実行に移す体現者、というのが議員の存在意義である。もちろん、その立場は尊く、責務があるので、高額な報酬をもらうに値する職務である。

だが、実際のところはどうだろうか。とにかく先生として偉そうに振る舞い、もらえるだけのお金をもらって、挙句の果てに居眠りなどをする議員もいると聞く。

私は仕事柄、先生と呼ばれる人がいる現場を見ることがよくあるし、先生と呼ばれる人に応対する人やその関係者の姿を見ることもよくある。これは、主観的な視点かもしれないが、全員ではないにせよ議員たちは「先生」と呼ばれてふんぞり返っているし、先生に応対する人は誰もが議員に対して神にあやかるように信じられないくらいペコペコする。

ニュースのように、単なる一国民や市民では見向きもされないし、たいていの声は届かないし、軽くあしらわれる。官庁や役所は相手をしてくれない。だが、そんな人でも議員になると、途端に周りの対応は劇的に変わる。これでもかというくらいペコペコして、丁寧に接してくれるし、「先生!先生!」と持ち上げてくれる。

そりゃそんな対応をしていれば議員もすぐにのぼせ上がってしまうな、と思わざるを得ない。私の上司たちも先生と呼ばれる人と電話をする時は声色が変わるくらいへりくだって、ペコペコした対応で「お世話になっております!」と電話をする。身分としては先生であるかもしれないが、そこまで持ち上げる必要があるのだろうか。

そう考えると、例えば以下のこの大阪府議会の取り組みは、つまらないようでかなり意義のある取り組みだと感じる。

「先生」なんて呼んで勘違いさせるから、議員たちが先生以上の存在になってしまうのだ。そりゃ、誰だって先生と呼ばれ続ければ気持ちよくなって、偉くなったと思い込んでしまうだろう。東南アジアで日本人が「シャチョーサン!」と声を掛けられるのに似ている。

また、議員の在り方には他にも疑問が残る。何か納得がいかないことがあれば、すぐに「議員に言いつける」「先生に言って何とかしてもらう」という人たちがけっこう大勢いるが、それは正しいやり方、正しい交渉の仕方なのだろうか。

議員は確かに民意の代表者であり、選挙によって選ばれた(選んでもらったという言い方もできる)存在である。だが、いくら投票してもらったからといって、それで偉い存在という考えは短絡的だろう。何でも議員に言えば必ず主張を通せるという思考も良くないし、議員が何でも屋のようになってしまうのもどうかと思う。

それらも含めて、根元にあるのは「先生」という誤った呼称なのかもしれない。そんな浮かれてしまうような呼び方があるから、本人もその権力を見誤るし、投票した人も絶対的な力を期待してしまうのだ。

まずは、大阪府議会のようにセンセイ呼びをやめていくというのが、地道だが、改革には効果のある取り組みなのではないかと強く感じる。議員は先生であり、先生は先生であるが、それは不必要な偉さや権力を手に入れたわけではないということを強く意識してもらいたいと感じる。

頂けたサポートは書籍代にさせていただきます( ^^)